人はなぜスピードに憧れるのか。高い山に登りたがるのか。螺旋階段に魅力を感じるのか。このことに関して、以前私は「Before the Flight」の項で、
(引用開始)
人間は、常に重力によって大地に引き寄せられているので、それに逆らうものへ強い憧れを抱くようだ。走る男、空へ舞い上がる鳥、天を向いた植物の穂先、スポーツ・カーの流線型など、重力から逃れようとする運動や形態に対して、人間は本能的に美を感じ取る。
(引用終了)
と述べたことがある。
先日「重力進化学」の項で、
(引用開始)
交感神経と副交感神経のバランスによって我々の健康が保たれていることは免疫学のよく教えるところだが、全身に広がった交感神経によって、人間文化の発生の基となる「食べること以外」の調節が行われるようになったということであれば、改めて、人間の進化における「重力の影響の大きさ」について考えさせられる。
(引用終了)
と書いたけれど、この二つ(「重力に逆らうものへの憧れ」と「人間の進化における重力の影響」)は、互いに大いに関係があるのではないだろうか。すなわち、人は日々重力の影響を受け続けるが故に、重力に逆らう運動に美を感ずるのではないだろうか。
とすると、「交感神経と副交感神経」の項で考察したように、交感神経の働きは<闘争か逃走か>ということであるから、重力に逆らうものに対する人の憧れの根底には、「交感神経の働き」がある筈だ。
この交感神経由来の美学を、「重力進化学」に因んで、「反重力美学」と名付けることとしたい。
以前「黄金比と白銀比」の項で、
(引用開始)
英語の「リズム」の建築的代表例として相応しいのは、「螺旋階段」ではないだろうか。特に裾広がりの螺旋階段は、動的なリズム感に溢れている。
(引用終了)
と書いたけれど、「反重力美学」はまた、西洋的なリズム感を伴っている。速さや跳躍力を競う「オリンピック・ゲーム」の発祥地は、そもそもギリシャである。
前回「三拍子の音楽」の項で、映画“2001年宇宙の旅”とワルツ“美しく青きドナウ”に関して、
(引用開始)
この映画のなかで、“美しく青きドナウ”は、地球と月とを往復する宇宙船の背景音楽として使用された。西洋合理主義の行き着く先をHALの反乱によって暗示したキューブリック監督は、崩壊前の調和的な世界観を、この三拍子の優雅なワルツによって表現したかったのだろう。
(引用終了)
と書いたけれど、「反重力美学」の観点からも、このリズム感あふれるワルツは、無重力空間を行く宇宙船の背景音楽として相応しい訳だ。
この記事へのコメント
交感神経-副交感神経と生産-消費、人の進化や文化・価値観の形成との相関性の議論、とても興味深く読ませていただきました。私は、いま取り組んでいる論文の構想を考える際、欧米と日本の間の暗黙の前提の違いを1つの切り口にしようと考えたことがありました。例えば、文化の違いを考える場合にも、このようなメタファーを応用することは可能でしょうか。
例えば、人の生活環境を構成する気候や食物、その他の資源の状態によって、人の生産と消費のバランスが地域によって異なってくる。その差が交感神経/副交感神経を通じて、他の機能や行動の差を生み出す。そのような差の蓄積によって文化の多様性が生まれる。
このように考えると、”変化すること”や”差が生じること”そのものが普遍性になってくると考えられます。少々強引にこのように考えてしまうのは、私が現在、“新しい物事が生まれること”や“変化”について考えているためです。ドイツの社会学者ノルベルト・エリアスは「社会学とは何か」の中で、「人間社会の普遍要素は“人間の学習能力による可変性”である。」と言っています。つまり、人間以外の生物が形成する社会の構造が変化するのは、その生物の生物学的構造が変化する場合のみであるのに対して、人間社会の変動は人間の生物学的構成や種の変動なしに生じうる、ということのようです。これによって個体発生上の連続性と新しい構造へのブレークスルーが両立されるとしています。
社会の動態を始め、私たちの身の回りのいろいろなことを考える際に、人間の生物的機能が重要な要素であることに少し目がいくようになってきました。前々から考えているメディアの形態(例えば動画と静止画)と人の生物学的機能や価値観、文化との関係についても、もう少し考えてみたいと思います。
コメント有難う御座います。
先日「赤筋と白筋」の項でも似たことを書きましたが、仰る通り、生活環境の差によって、文化の多様性が生まれると思います。
それと言葉ですね。気候や食物よりも、言葉の影響が大きいと思います。こんど民族移動と言葉について書いてみますね。
変化することや差が生じることが普遍性である、というのもその通りですね。人間の生物学的機能が(社会を考える上で)重要な要素、というのも当たっていると思います。
分子生物学者の福岡伸一さんの「動的平衡」という著書によると、“生命とは、絶え間ない流れの中にある動的なものである”ということだそうです。
福岡さんの著書はブログでもたびたび引用させていただいていますが、入門編としては、氏の最新の対談集“エッジエフェクト”(朝日新聞出版)などがいいでしょう。とくに物と物との界面作用(エッジエフェクト)は、非線形科学の真髄ですね。
Tkahashiさんも、ケミカル・エンジニアとして、これまで「分けて」考えることが多かったと思いますが、生物も無生物も含めて、変化すること、動きのあること、にこそ普遍性があるという観点は、21世紀のscienceにとって非常に重要だと思います。
ただしそうはいっても、(福岡氏も述べていますが)いったん止めて考えなければ分からないことも多いですから、思考的にその間を行き来して、順次考えを纏めていくことが大切です。
またコメントをいただければ嬉しいです!
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