先日のNHK-BS「名曲探偵アマデウス」では、ヨハン・シトラウス2世の“美しく青きドナウ”を取り上げて、1867年に発表されたこの傑作の謎に迫っていた。なぜこの曲は人の心を浮き立たせるのか。
まず旋律が美しい。また三拍子のワルツは安定していて心地良いということがある。さらにこの曲で使われるニ長調は、バイオリンの開放弦が共鳴する“レ”と“ラ”の音を含む調性なので、弦楽器の音が響きやすい。ニ長調は特に祝祭などで使われる調性だという。曲全体を構成する五つのワルツの繋ぎの妙、木管楽器とトロンボーンの音色の対比、旋律を支える合いの手の入れ方などなど、この曲は、確かに聴けば気分が高揚し、自然に体が動き出すような音楽である。日本の「一拍子の音楽」とは別様の、躍動感あふれる世界である。
番組でも触れていたが、“美しく青きドナウ”といえば、映画“2001年宇宙の旅”(スタンリー・キューブリック監督)で使われた音楽としても有名だ。映画がリリースされたのは1968年だから、曲が発表されてから凡そ100年後のことである。
私は1968年17歳の時に、この映画を観た。太古の地球に訪れる夜明け、猿の振り上げた動物の骨が宇宙船に変わる場面、宇宙船の内部描写、月面に隠されていたモノリス、HALの反乱、最後に現れる白い部屋と胎児の映像などなど、今でも私はこの映画の各シーンを鮮明に思い出すことが出来る。もっとも、その後70年代のパリを皮切りに、幾度もこの映画を観ているから、記憶は順次補強されてきているけれど。
この映画のなかで、“美しく青きドナウ”は、地球と月とを往復する宇宙船の背景音楽として使用された。西洋合理主義の行き着く先をHALの反乱によって暗示したキューブリック監督は、崩壊前の調和的な世界観を、この三拍子の優雅なワルツによって表現したかったのだろう。
そもそも“美しく青きドナウ”は、ハプスブルグ帝国が普墺戦争に破れ崩壊への道を歩み始める時期に、宮廷舞踏会指揮者だったヨハン・シトラウスが、祖国へのノスタルジアを込めて書いた曲だという。曲のタイトルは、ハンガリー詩人カール・ベックの、“美しく青きドナウのほとりに”という詩から取られた。「名曲探偵アマデウス」によると、この曲は初め合唱曲として書かれたらしい。番組から(日本語に訳された)合唱のナレーション部分を引用しよう。
(引用開始)
なんと青きドナウよ
谷と緑野を縫いながら
お前は静かに波打ち流れ
我らウィーンはお前に挨拶する
銀に輝くお前の帯は
国と国とを結びつけ
お前の美しい岸辺では
喜びの心が高鳴っている
(引用終了)
この郷愁を誘うワルツは、それから100年後、鬼才の映画監督によって、西洋合理主義への挽歌として使われたことになる。
三拍子の音楽といえば、1968年から2年後の1970年5月に、ビートルズの最後のアルバム“Let It Be”が発表された。その中にある、ジョージ・ハリソン作曲の“I Me Mine”も三拍子のワルツである。私は1970年の夏、映画“Let It Be”を観た。ビルの屋上でのライブ演奏と並び、この曲に合わせてジョンとヨーコがワルツを踊っているシーンが想い出される。
この曲がレコーディングされたのは、1970年1月3日のことだという。アルバム・バージョンは、プロデューサーのフィル・スペクターによってだいぶ加工されているけれど、1月3日のオリジナル音源が、1996年10月に発売された、ビートルズの“ANTHOROGY 3”に収録されている。以前「五つ星」で紹介した中山康樹氏の“ビートルズ全曲制覇”(笊カ庫)から、このオリジナル音源についてのコメントを引用しておきたい。
(引用開始)
この《アイ・ミー・マイン》はすばらしい。3人がオーヴァーダビングをくり返してわずか1日で完成させたオリジナル・バージョン、短いながらも緊張感に富み、途中でテンポが変わるパートも違和感なく流れる。エンディングでうっすらとハーモニー(ジョージによるオーヴァーダビング)が聴こえる瞬間のなまなましさもこのヴァージョンならでは。
(引用終了)
<同書155ページ>
ここで3人というのは、ポールとジョージ、リンゴのことで、ジョンは休暇を取っていてこのセッションには参加していなかった。
ポールとジョージ、リンゴの3人での録音といえば、1990年代の中ごろ、ジョンのオリジナル音源に3人がオーヴァーダビングした、“Free As A Bird”と“Real Love”のことを思い出す。中山康樹氏もそのことに触れておられる。
(引用開始)
『アビー・ロード』が最後になるはずだったが、1970年1月3日と4日、映画用に追加のレコーディングを行うためスタジオに集まる。ただしジョンは休暇中で、ポール、ジョージ、リンゴの3人となる。これがビートルズとして最後のレコーディングとなるが、その後“新曲”としてレコーディングした《フリー・アズ・ア・バード》もジョン不在、残る3人によって行われたことは、なにやら暗示的ではある。
(引用終了)
<同書24ページ>
ビートルズは、当初ジョン・レノン中心のロック・バンドだったけれど、次第に他の3人が力をつけていく。曲も多様化し複雑性を増す。やがてジョンがグループからフェードアウトすることで、バンドとしては「解散」に至るわけだが、その後の各人の活躍を考えれば、それは解散というよりも、むしろグループの「発展的解消」だったといえるだろう。
それにしても、映画“2001年宇宙の旅”が発表された1968年当時、2001年は遥か先のSFの世界だった。今はなんと、それからさらに9年後の2010年である。光陰矢の如し。今年17歳の若者は、42年後の2052年、今の映画や音楽の何を、どう思い出すのだろうか。
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