先日「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」の項で、
(引用開始)
本来、ゲマインシャフトは「私(private)」の領域に属し、ゲゼルシャフトは「公(public)」の領域に属す。しかし、日本では二つの違いの意識が希薄である。「先輩と後輩の関係」は、大学や会社だけでなく、官僚や公共団体など、日本の機能組織のいたるところで見られる。
(引用終了)
と書いた。しかし、日本の機能組織(ゲゼルシャフト)におけるこの麗しい人間関係も、組織がきびしい競争に晒されると長くは続かない。個人の権利と義務を明確化し、組織の効率的な運営を図らなければ、組織そのものが生き残れないからだ。
とはいえ、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」は日本語そのものに根ざしているので、同じ言語を使いながら、個人の権利と義務を明確化し、組織の効率的な運営を図るのは簡単ではない。変革は往々にして上辺を取り繕っただけに終わり、努力は骨抜きにされる。中途半端になされる変革ほど始末が悪いものはない。組織は複雑骨折の様相を呈することになる。昨今、我々の周りには、肥大化した「偽装機能組織」がいたるところに転がっている。
「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」の項ではさらに、
(引用開始)
我々は、「自然発生的な組織」=「ゲマインシャフト」と、「人為的な組織」=「ゲゼルシャフト」との違いをしっかりと認識し、そのどちらにも影響を及ぼす日本語の「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」に対して、殊の外自覚的でなければならない。
(引用終了)
と書いたけれど、機能組織のリーダーは、特に日本語の「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」への対応策を持つことが必要だろう。
「自立と共生」の項で触れた“空気の研究”(文春文庫)の著者山本七平氏は、その著書の中で、「空気の支配」に対して「水を指す」ことを奨励した。また、“空気は 読まない”(集英社)の著者鎌田實氏は、その本の中で、「空気に流されるな、空気をかきまわせ」と述べておられる。最近、組織の公用語を英語にする会社も増えているという。しかし、機能組織のリーダーにとって、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」に対する最も基本的な策は、「情報公開」ではなかろうか。
個人の権利と義務を明示した上で、意思決定のプロセスをオープンにすること。組織の構成員に何がどうなっているのかを知らせ、彼らの知識や智恵を活用しながら、組織の効率的な運営を図ること。「情報公開」は、組織メンバーの大脳新皮質を活性化させる。彼らの意識を啓発する。日本語における主体の論理や、「存在としてのbe」への意識を覚醒させる。
「脳と身体」の項で述べたように、人の集まりであるところの会社も一つの有機体であってみれば、組織には脳と身体機能の両方が必要であり、「容器の比喩と擬人の比喩」などで述べたように、「日本語に身体性が残り続ける」のであれば、「情報公開」によって、組織メンバーの脳機能の活性化を図る必要があるわけだ。組織が競争に打ち勝つには、「情報公開」によって組織メンバーの能力を結集し、その上で、最適戦略を立案することが求められるのである。
また、企業における「情報公開」の重要性は、以前「リーダーの役割」の項で述べた、
(引用開始)
情報密度はベキ則分布に従うから、リーダーは社員との情報交換を頻繁に繰り返さなければならない。全体の情報量が多ければ収益のチャンスも増える。
(引用終了)
という指摘とも重なる筈だ。
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