前回「一拍子の音楽」の項で、
(引用開始)
この英語の「リズム」と日本語の「間」との違いは、ことばの特徴(母音語と子音語)に根ざしているだけに、歌だけに止まらず、絵画や文学、デザイン、彫刻や建築、その他生活文化全般にまで及んでいるように思われる。
(引用終了)
と書いたけれど、今回は、建築面からこの違いについて考えてみたい。
英語の「リズム」の建築的代表例として相応しいのは、「螺旋階段」ではないだろうか。特に裾広がりの螺旋階段は、動的なリズム感に溢れている。一方、日本語の「間」の建築的代表例として相応しいのは、「茶室」であろう。四畳半の茶室には、静的な緊張感が漲っている。
以前私は「螺旋階段」の項で、箱根ポーラ美術館にある謎の螺旋階段について詮索し、そのあと以下のように書いた。
(引用開始)
さて、螺旋というかたちで有名なのはDNAの二重構造だが、もうひとつ思い浮かぶのが「音階」である。螺旋と音階の関係については、「音律と音階の科学」小方厚著(講談社ブルーバックス)に詳しい。また、ポーラ美術館の螺旋階段は円柱状だが、純正律で音階を極座標上に表現すると、裾広がりの渦になるという。そういえば洋館の螺旋階段の多くは、そのような裾広がりの優雅な形をしている。
(引用終了)
裾広がりの螺旋、とくにフィボナッチ数列から生まれる螺旋には、「黄金比」と呼ばれる比率が潜んでいることがよく知られている。黄金比とは、クレジット・カードなどによく使われている約1対1.6の縦横比のことで、フィボナッチ数列の2項間の比は、その黄金比に近づいていく。螺旋階段以外でも、西洋の建築にはこの「黄金比」が多く使われている。黄金比について、“雪月花の数学”桜井進著(祥伝社黄金文庫)から引用しよう。
(引用開始)
「黄金比」という言葉自体は、よくお聞きのことと思う。人間が美と調和を感じる、最も美しい比率としての数のことだ。「黄金律」とも言う。
エジプト・ギザにあるクフ王のピラミッドや、アテネのパルテノン神殿、ミロのヴィーナス、ドミニク・アングルの絵画「泉」など、古来、建築物や芸術作品にこの黄金比が取り入れられてきたことは有名で、あの『ダヴィンチ・コード』の冒頭でもレオナルド・ダ・ヴィンチの「ヴィトルウィウス的人体図」が登場する。
(引用終了)
<同書16ページ>
一方の茶室には、「白銀比」と呼ばれる比率が潜んでいる。「白銀比」とは、正方形における一辺と対角線との比(約1対1.4)のことで、茶室以外でも、日本の建築には「白銀比」が多く使われている。古いところでは、あの法隆寺(五重塔の庇・金堂の正面の幅・西院伽藍の回廊)にもこの白銀比が使われているという。
黄金比と白銀比との対比について、再び“雪月花の数学”桜井進著(祥伝社黄金文庫)から引用しよう。
(引用開始)
円に内接した正方形に対角線を引き、導き出されたのが「白銀比=√2」だった。第1章で紹介したように、日本人は大切なものに白銀比を使い、正方形を使う。それが日本人の気質を表している。実用的で、同時に無駄を省き、いたずらな華美を慎(つつし)み、質素倹約を旨とする、日本人本来の気質である。
そして同時に、円の中の正方形は、それ自体で完結している。言い換えれば、形として閉じている。それゆえ、あくまでも静謐(せいひつ)にたたずんでいる。決して外へ出てゆこうとはしない。
ひるがえって、黄金比が描き出す螺旋は、あからさまに西洋的なダイナミズムを表現する。外へ向かって拡大し、収束することを知らない。それが帝国主義的植民地政策につながるとまでは言わないが、螺旋の持つ外への発展性は、円と正方形の完結性とは、まったく対照的だ。螺旋は華美な装飾を生み、正方形は質素な静けさを呼ぶ。
その意味では、黄金比と白銀比は正反対の数と言ってよい。すなわち黄金比は「動」であり、白銀比は「静」である。さらにその躍動感において、黄金比を「生」、白銀比を「死」になぞらえることもできる。
ただし忘れてならないのは、両者は顔をそむけあっているわけではないということだ。人智を超えた存在――宇宙、大自然、生命、紙を解き明かす一つの鍵として、黄金比も白銀比もある。
万物を動的に捉えるのが黄金比とするならば、白銀比はその一瞬を切り取って、静的に表現する。「死」を語れば語るほど、「生」を語ることになる。
(引用終了)
<同書90−92ページ>
英語の「リズム」と日本語の「間」との違いは、「動」と「静」の対比として、それぞれ「黄金比(約1対1.6)」と「白銀比(約1対1.4)」をもって(視覚的に)表現されるのであろうか。
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