夜間飛行

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リズムと間

2010年06月29日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 前回「対位法のことなど」の項で、「西欧社会は、互いに自己を主張しながら、全体として調和(ハーモニー)を醸す術に長けているのかもしれない」と書いたけれど、この場合の調和とは、社会という人為的な組織における、人同士のハーモニーであり、これは、「迷惑とお互いさま」で引用した海原純子氏がいうところの、西欧的「お互いさまの精神」による調和といえるだろう。

 一方、「日本語の力」で引用した、長谷川櫂氏のいう「さまざまな異質なものをなごやかに調和させる力」は、人為的な組織における人同士のハーモニーというよりも、人と自然との共生によって生ずる和であり、「迷惑とお互いさま」の項で書いたように、日本語の自然環境を守る力が人為的な組織に対しても同じように働いてしまうとすれば、この力は、「ハーモニーとは」の項で引用した石井宏氏がいう「各人が個性を犠牲にして、ユニゾンになるように努力した成果」としての和、すなわち、海原氏がいうところの日本的「迷惑をかけない精神」による和といえるのではないだろうか。

 この西欧的「お互いさまの精神による調和」と、日本的「迷惑をかけない精神による和」の違いの根本に、「子音を中心とした言語(子音語)」と、「母音を中心とする言語(母音語)」の違いが存在する。「日本語の力」や「少数意見」で紹介した“日本語はなぜ美しいのか”黒川伊保子著(集英社新書)から、この二つについて引用しておこう。

(引用開始)

 つまり、ことばの音を、母音と子音に分類できるように、世界の言語は、母音骨格で音声認識する「母音語」族と、子音骨格で音声認識をする「子音語」族の二種類に分けられるのだ。

(引用終了)
<同書166ページ>

 さて今回はさらに、子音語と母音語の違いを、音楽の面から「リズム」と「間」という二つのキーワードによって見て行きたい。

 まず、“日本語はなぜ美しいのか”黒川伊保子著(集英社新書)から、母音語におけることばの最小認識単位について引用する。

(引用開始)

 日本語では、ことばの音の最小認識単位は、カナ一文字にあたる。カキクケコKaKiKuKeKoのように子音一音+母音一音、あるいは単母音で構成されている。これら一音一音を成り立たせているのは、母音の存在感である。
 また、日本語のリズムは、一つの発音単位を一拍として、「タタタ、タタタタ、タタタタタ」のように、まるで手拍子のように几帳面に構成されている。俳句の五七五、短歌の五七五七七も、拍という発音単位があるからこそ生まれた文化だ。

(引用終了)
<同書164ページ>

 母音語である日本語は、カナ一文字が最小の音声認識単位であり、その発音単位を黒川氏は「拍」と呼ぶ。一方、子音語である英語におけることばの最小認識単位はどうか。同書からさらに引用する。

(引用開始)

 英語では、シラブルと呼ばれる子音から子音への一渡りが、最小の音声認識単位である。前にも書いたが、日本人がク・リ・ス・マ・スと五拍で認識するChristmasは、英語人はChrist+masの二シラブルで聴き取っている。

(引用終了)
<同書165ページ>

 子音語である英語は、シラブル(子音から子音への一渡り)が最小の音声認識単位である。

 音楽表現において、この「拍」と「シラブル」の違いはどう現れてくるのか。“西洋音楽から見たニッポン”石井宏著(PHP研究所)から、日本語の歌の特徴に関する記述を引用する。

(引用開始)

 日本の歌に規則的なリズムもなければビートもないのは、まず日本語という他に類例のない伸縮自在の言語に由来すると思われ、そこではビートよりも歌詞の意味が歌い方を支配し、歌詞の句切りが歌の区切りとなり、その句切りは休符というような一定の長さをもつものではなく、日本語で“間(ま)”と呼ぶようなものである。日本音楽にはもちろん、合奏もあり踊りの音楽もあるので、リズムをもつものもある。しかし、ソロにおいてきわめて重要なのはリズムではなくこの“間”である。

(引用終了)
<同書213ページ>

 カナ一文字が最小の音声認識単位であるところの日本語の歌は、「拍」と「間」によって構成される。それに対して、シラブル(子音から子音への一渡り)が最小の音声認識単位であるところの英語の歌は、シラブルを繋ぐものとしての「ビート(脈動)」や「リズム(律動)」によって構成されるということがわかる。

 石井氏は、“西洋音楽から見たニッポン”(PHP研究所)のなかで、さらに言葉の「粒子性」と「線性」について次のように考察されている。

(引用開始)

 サンスクリット系、つまりインド=ヨーロピアン語族の系統の言語では、一つのシラブルを単位とした粒子の連続のような発音が行われる。これに対してウラル・アルタイ語族の末端の国ニッポンでは、言葉はひとかたまり、ないしは一本の線のように発音され、西洋語にあるような発音における粒子性がない。

(引用終了)
<同書26ページ>

 西洋の音楽は、粒子の連続だから「ビート(脈動)」や「リズム(律動)」が重要であり、日本の音楽は、一本の線だから「拍」や「間」による抑揚が大切なのであろう。

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posted by 茂木賛 at 11:36 | Permalink | Comment(0) | 言葉について

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