以前「自立と共生」の項で、日本語と対比して「英語的発想ばかりだと自然環境を守ることが難しくなる」と書いたけれど、ここで、日本語の持つ「環境を守る力」について纏めておきたい。まずは“日本語は亡びない”金谷武洋著(ちくま新書)から引用しよう。
(引用開始)
日本語をよく観察すると、日本人がいかに「対話の場」を大切にする民族かということに驚く。話し手である自分がいて、自分の前に聞き手がいる。聞き手は二人以上のこともあるが多くは一人だ。ここで大切なのは、この「対話の場」に<我>と<汝>が一体となって溶け込むということだ。この点が日本文化の基本であるように思えてならない。日本語における<我>は、決して「対話の場」からわが身を引き剥がして、上空から<我>と<汝>の両者を見下ろすような視線を持たない。<我>の視点は常に「いま・ここ」にあり、「ここ」とは対話の場である。(中略)
これに対して、西洋の考え方は自己から世界を切り取るところに特徴があるように思える。自分に地球の外の一転を与えよ、地球を動かしてみせると豪語したのはアルキメデスだった。自分を「我思う、ゆえに我あり」と、思考する<我>を世界と対峙させることで<我>の存在証明にしようと試みたのはデカルト(『方法序説』一六三七)である。端的に言えば、西洋の<我>は<汝>と切れて向き合うが、日本の<我>は<汝>と繋がり、同じ方向を向いて視線を溶け合わすと言えるだろう。
(引用終了)
<同書106−107ページ>
著者の金谷氏は、長年カナダで日本語を教えておられる方だ。上の観察は外国人に日本語を教える現場での実感なのであろう。
次に“日本語はなぜ美しいのか”黒川伊保子著(集英社新書)から引用する。
(引用開始)
前にも述べたが、日本語は、母音を主体に言語認識をする、世界でも珍しい言語である。
対して、欧米各国やアジア各国の言語は、すべて、子音を主体に音声認識している。しかも、これらのことばの使い手の脳では、母音は、ことばの音として認識しておらず、右脳のノイズ処理領域で「聞き流して」いるのだ。
話者の音声を、母音で聴く人類と、子音で聴く人類。「言語を聴く、脳の方法」という視点でいえば、世界は、大きく、この二つに分類される。
この二つの人類は、脳の使い方が違い、ことばと意識の関係性とコミュニケーションの仕組みが、まったく違うのである。(中略)
というわけで、母音語の使い手による対話と、子音語の使い手による対話は、潜在的な意味において、まったく異なる行為なのである。
前者は、融和するために手段としてことばを使う。仲良くなる方法を探るのが、対話の目的なのだ。話せば話すほど、意識は融和していくので、意味的な合意はさほど重要ではない。心安らかな語感のことば(親密な大和言葉)をどれだけたくさん交わしたかに、感性上の意味がある。
後者は、境界線を決める手段としてことばを使う。境界線のせめぎ合いが、対話の目的なのだ。話せば話すほど意識は対峙するので、意味的な合意と、権利と義務の提示、絶え間ない好意の表明が不可欠となる。(中略)
母音語の使い手は、自然とも融和する。
母音を言語脳で聴き取り、身体感覚に結び付けている日本人は、母音と音響波形の似ている自然音もまた言語脳で聴き取っている。いわば自然は、私たちの脳に“語りかけて”くるのである。当然、母音の親密感を、自然音にも感じている。
だから、私たちは、虫の音を歌声のように聞き、木の葉がカサコソいう音に癒しを感じ、サラサラ流れる小川に弾むような喜びを感じる。自然と融和し、対話しながら、私たちは生きてきたのだ。
(引用終了)
<同書62と170―173ページ>
著者の黒川氏は、コンピューターメーカーで人工知能の開発に関わり、脳と言葉を研究されていたという。そういえば、同じく母音と子音について「脳における自他認識と言語処理」などで紹介してきた“日本人の脳に主語はいらない”(講談社選書メチエ)の著者、月本洋氏の専攻も、人工知能、データマイニングとのことだった。
最後に“和の思想”長谷川櫂著(中公新書)から引用しよう。
(引用開始)
和とは本来、さまざまな異質なものをなごやかに調和させる力のことである。なぜ、この和の力が日本という島国に生まれ、日本人の生活と文化における創造力の源となったか。これがこの本の主題である。
その理由には次の三つがある。まず、この国が緑の野山と青い海原のほか何もない、いわば空白の島国だったこと。次にこの島々に海を渡ってさまざまな人々と文化が渡来したこと。そして、この島国の夏は異様に蒸し暑く、人々は蒸し暑さを嫌い、涼しさを好む感覚を身につけていったこと。こうして、日本人は物と物、人と人、さらには神と神のあいだに間をとることを覚え、この間が異質なものを共存させる和の力を生み出していった。間とは余白であり、沈黙でもある。
(引用終了)
<同書205−206ページ>
長谷川氏は、“「奥の細道」をよむ”(ちくま新書)、“決定版 一億人の俳句入門”(講談社現代新書)などの著書がある、気鋭の俳人である。
以上、三冊の本から日本語について引用してきたが、纏めると、日本語は母音を主体に言語認識するので、対話者同士の意識や自然との融和を促し、対話の場における<我>と<汝>の繋がりを生む。<我>と<汝>の繋がり、即ち「和」を生み出す日本語には、異質の物を調和させる力があり、それ故に、日本語は自然環境を守る力が強いのであろう。
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