街づくりに関して、北海道大学教授山口二郎氏の新聞連載記事をご紹介したい。
(引用開始)
生活者の街
五月末から半月ほど、大学での講義のためパリに滞在した。短い期間ではあったが、生活のしやすさを感じた。パリは大都市なので、勿論スーパーマーケットもたくさんある。しかし、パリの魅力はさまざまな専門店がひしめいていることにある。私も肉食店、総菜屋、パン屋などで食材を手に入れ、フランスの味を堪能した。
日本では、生活者というと消費者と同じ意味で使われている。しかし、そこに日本社会の荒廃の原因がある。消費者にとって安ければよい、便利であれば良いという価値だけを追求して、日本の都市はシャッター街が増えると同時に、コンビにだらけになった。パリでは、街の中に生産・供給する人々がいて、個性ある店が並ぶことで、街の魅力や活気が生まれてくる。市民も店の人々と親しく付き合い、供給者を大事にしている。
人間は、生産や供給に従事して生活の糧を稼ぎ、消費している。生産と消費は車の両輪である。日本では、その当然の原理を忘れ、一面的な消費者像を追求した結果、生産・供給の世界に大きなしわ寄せがいった。そのことは、そこで働く人の生活にも大きなひずみをもたらした。ファミレスやファストフード店における過酷な労働を見れば、明らかだろう。
人間の生活とは何か、短いパリ暮らしで、考えさせられた。
(引用終了)
<東京新聞「本音のコラム」6/14/2009より>
このブログでは、生産と消費について様々な角度から論じている。各論についてはカテゴリ「生産と消費論」を順次お読みいただきたいが、山口氏の「生産と消費は車の両輪である」という指摘は、私のいう「生産と消費の相補性」と対になるコンセプトだと思う。生産と消費は、個人においては車の両輪であり、社会集団にとっては互いに相補的なのである。
このことを街づくりの観点から見ると、「生産と消費の分離・断絶」の項で論じた、食における「生産者と消費者との距離の近さ」が大切なポイントとなるわけだ。食に限らず、さまざまな生産と消費活動の距離が近いと、二つは街のいたる処で、あたかもメビウスの輪のように表となり裏となって繋がっていく。
そしてそれらの活動が「エッジ・エフェクト」を起こす。エッジ・エフェクトとは、異なるモノが接する界面から新たなコトが生成(融合)するダイナミズムのことである。そのことで、山口氏の云うように「街の中に生産・供給する人々がいて、個性ある店が並ぶことで、街の魅力や活気が生まれてくる」のである。
以前「街の魅力」のなかで、吉祥寺の魅力を示すI 歩ける、II 透ける、III 流れる、IV 溜まる、V 混ぜる、の5つキーワードを紹介し、「街のつながり」のなかで、建築家・隈研吾氏の根津美術館における試みを紹介したけれど、ここにさらに街づくりの重要エレメントのひとつとして、「生産と消費活動のつながり」を加えておきたい。
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