以前「山の本屋」の項で、
(引用開始)
書店というものは、社会に欠かすことの出来ない存在だ。ここでいう「書店」とは、「イハラ・ハートショップ」のような小さな本屋さんばかりではなく、都会の大きな書店、さらには出版業を含むところの、“書物という、人の思考道具である「言葉」を扱う生産活動”全般を指している。人は言葉で思考するから、そういう意味で、書店は社会の力の源泉である。書店は、「アートビジネス」とも隣接しながら、人の生産と消費活動を精神的に支える。書店はまた、社会における多様性と意外性を保証する「言論の自由」の守り手でもある。
(引用終了)
と書いたけれど、ここで一度、書籍ビジネスについて私の考えを整理しておきたい。
1. 「場」の創造
書店・出版社は、書籍ビジネスを通して、社会の内に「知の交流場所」を創造することが出来る。和歌山の「イハラ・ハートショップ」もそうだし、最近できた丸の内の「松丸本舗」(写真下)もそういう試みだ。先日私は「松丸本舗」で、「松岡正剛の千冊千夜遊蕩編(1327夜)」で取り上げられた“オキシトシン”シャスティン・モベリ著(晶文社)を入手することが出来た。
2. 効率と効用
言葉を扱う書籍には、大きく分けて、効率よく知識を身につけるための実用書や研究書と、アート作品としての詩や小説がある。前者(効率書)は人の「生産活動」を支え、後者(効用書)は、人の「消費活動」を支える。書籍ビジネスは、人の「生産と消費活動」両方をサポート出来るのである。
3. 作家の育成
以前「アートビジネス」の項で、
(引用開始)
値段の付いた作品はギャラリストやコレクター、出版社などによって市場で売り買いされ、売値と買値の差が利益となる。利益は、宝石の場合などと同様、時間とお金を掛けてそれを発見し保管してきた人々への報酬である。
(引用終了)
と書いたけれど、アート作品同様、「書籍」も市場で売り買いされ、売値と買値との差が書店・出版社の利益となるのが正しい姿であろう。利益は、時間とお金を掛けて書籍を編集・出版・販売してきた人々への報酬である。書籍の市場価値は、作家本人とは何の関係も無い。
ただし、アーティストが無から生まれ得ないように、作家も何も無いところからは生まれない。昔は、金持ちが作品を買い上げることでアーティストを育てた。今の書店・出版社は、作家が書いたものを加工(編集・出版)販売して社会(読者)から報酬を得ているのだから、社会的な責任として、報酬の一部を割いて作家(とその卵)を育成していかなければならない。様々な作家・ジャーナリストに発表の場を与えることは、「言論の自由」を実践することでもある。
4. ネットの活用
21世紀はインターネットの時代である。書店・出版社は、電子書籍や電子書籍端末(写真下は私がコンサルを務める会社の電子ペーパーを使った9インチのサンプル)を活用し、「新しい知の交流場所」を創造しなければならない。電子書籍は、紙の本よりも早く、安価に、いつでも(ネット上で)流通させることができる。しかし今後求められるのは、紙の本を単にデジタル化するのではなく、電子書籍ならではの新しい付加価値を作り出していくことだろう。電子書籍端末は、一台に数多くの書籍を格納することができ、文字の拡大や読み上げ機能などにより、視覚障害の人たちにも読書の機会を提供することが出来る。
5. 他の「生産と消費活動」を啓蒙する
以前紹介した「里山ビジネス」の著者玉村豊男氏は、「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー」のオーナーでもある。“奇跡のリンゴ”石川拓治著(幻冬舎)は、無農薬りんご農家・木村秋則氏の苦闘の軌跡を描いたものだ。友人の成松一郎氏が書いた“五感の力でバリアをこえる”(大日本図書)は、障害を乗り越える人々の活動を紹介した本だ。書籍はこのように、関連のある他の「生産と消費活動」を啓蒙・サポートすることが出来る。
6. 多品種少量生産
このブログでは、安定成長時代を支える産業システムの一つに「多品種少量生産」を挙げているが、多様な作家・ジャーナリストに発表の場を与え、リアルとバーチャルにおいて知の交流場所を創造する「書店」は、この「多品種少量生産」システムの中核を担う、重要なビジネスである。
以上、書籍ビジネスについて整理してきたが、いずれにしても、このビジネスを担うのは、アートビジネスでギャラリストやコレクターに相当するところの、「目利き編集者」であることは間違いない。
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