先回に引き続き「パラダイム・シフト」の話を続けたい。そもそもパラダイム・シフトのきっかけをつくる人はどういう人たちなのだろうか。なぜ夏井睦氏が「湿潤治療」を思いついたのか、“傷はぜったい消毒するな”夏井睦著(光文社新書)から引用する。
(引用開始)
これまで説明してきたように、パラダイムの内部にいる人間は、それがパラダイムだということに気付かない。それが単なるパラダイムではないかと気付くのは、外側にいる人間だけである。
筆者は十〇年ほど前まで従来の熱傷治療を熱心に行なってきた一人である。前にも書いたが筆者は形成外科の専門医であり、大学の形成外科局に十五年ほど所属し、この間、多数の熱傷患者を治療し、数え切れないほどの手術を行なってきた。(中略)
そしてその後、湿潤治療を始めたので、いわば熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきたことになる。その結果、大学病院時代には見えてこなかった熱傷治療の問題点が見えてくるようになった。
(引用終了)
<同書170ページ>
「熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきた」という部分に注目してもらいたい。そして、以前「エッジ・エフェクト」で紹介した、「マージナル・マン」という概念を思い起こしてほしい。「部落問題・人権辞典ウェブ版」から、再度その部分を引用しよう。
(引用開始)
異質な諸社会集団のマージン(境域・限界)に立ち、既成のいかなる社会集団にも十分帰属していない人間。境界人、限界人、周辺人などと訳される。マージナル・マンの性格構造や精神構造、その置かれている状況や位置や文化を総称して、マージナリティーと呼ぶ。マージナル・マンの概念は、1920年代の終わり頃に、アメリカの社会学者バークが、ジンメルの<異邦人>の概念(潜在的な放浪者、自分の土地を持たぬ者)の示唆を受けて構築した。(中略)
マージナル・マンは、自己の内にある文化的・社会的境界性を生かして、生まれ育った社会の自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くことが可能である。それゆえにマージナル・マンは、人生や現実に対して創造的に働きかける契機をもっている。
(引用終了)
「熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきた」夏井氏は、学会の「自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くこと」が可能だった。勿論マージン(境域・限界)に立っているからといって、それだけでパラダイム・シフトのきっかけを生み出せる訳ではないけれど、それは生み出すための必要条件なのだろうと思う。
そういえば、「皮膚感覚」で紹介した傳田光洋氏も、大学では科学熱力学を学んでおられて、皮膚の研究を始めたのは三十歳を過ぎてからとのこと。夏井睦氏ともども、それぞれの研究領域におけるマージナル・マンなのであった。お二人の更なる飛躍に期待したい。
ところで、夏井氏は「湿潤治療」に関して、インターネットを活用されている。その理由について氏は“傷はぜったい消毒するな”の中で、
(引用開始)
こういう経験(ネットを通して貴重な楽譜をやりとりした経験)から私は、情報を全て公開し共有することで、より多くの情報が得られることを学んだ。苦労して手に入れた楽譜だからタダでは見せられない、と考えるか、苦労して手に入れたものだから皆で共有しよう、と考えるかの違いである。だから治療法を全て公開したのだが、治療例は学会発表するか論文にしなければ意味がなく、インターネットでの公開は無意味だという批判もあった。だが、全く気にしなかった。私にとって学会も論文もどうでもよかったからだ。また治療失敗症例は多くのことを教えてくれるし、治療上のトラブルについて皆で分析して解決法が考案されることで、治療法はより完全なものになっていく。だから、失敗例ほど公開しようと考えたわけだ。
(引用終了)
<同書66−67ページ。カッコ内は引用者による注。>
と書いておられる。インターネットを活用した「知のオープン化」については、これまで「ハブ(Hub)の役割」や「盤上の自由」などで論じてきた。併せてお読みいただければ嬉しい。
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