先日「皮膚感覚」の項で述べたように、皮膚についていろいろと勉強しているのだが、最近、“傷はぜったい消毒するな”夏井睦著(光文社新書)という本を読んだ。本カバー裏の紹介文を引用しよう。
(引用開始)
ケガをしたら、消毒して乾かす、が世間の常識。しかし著者によれば、消毒は「傷口に熱湯をかけるような行為」だという。傷は消毒せず、乾燥させなければ、痛まず、速く、しかもきれいに治るのである。
著者は、今注目の「湿潤治療」を確立した形成外科医である。その治癒効果に驚いた医師らにより、湿潤治療は各地で広まっている。しかし肝心の大学病院などでは相変わらず、傷やヤケドを悪化させ、直りを遅らせ、患者に痛みと後遺症を強いる旧来の治療が行なわれている。なぜ、医学において生物学や科学の新しい成果は取り入れられないのか。本書では医学会の問題点も鋭く検証。さらに、生物進化の過程をたどりつつ見直した、皮膚という臓器の驚くべき能力について、意欲的な仮説を展開しながら解説する。
(引用終了)
この紹介文の最後にある「意欲的な仮説」とは、皮膚の力を見直す思考実験なのだが、それは、「皮膚感覚」で紹介した傳田光洋氏の“皮膚は考える”(岩波書店)に触発されてのことだという。
本書の中に、「パラダイム・シフト」について触れた箇所がある。湿潤治療や皮膚の思考実験についてはまた別の機会に譲るとして、今回はこのパラダイム・シフトについて考えてみたい。パラダイムやパラダイム・シフトについて書かれたものは他にもいろいろあるけれど、夏井氏はこの本で、パラダイム・シフトが起る動的プロセスについて説明しておられる。まず本書によって「パラダイム・シフト」とは何かについて確認しておこう。
(引用開始)
パラダイムシフトは「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識(パラダイム)が、革命的かつ非連続的に変化(シフト)すること」と定義されている。ここで重要なのは「非連続に変化」という部分だ。つまり、旧パラダイムから新パラダイムへの変化(シフト)は連続的に起るのではなく、二つのパラダイムは完全に断絶しているのだ。新しい考え方は旧いパラダイムを完全否定することで生まれるからだ。
(引用終了)
<本書164ページ>
ではこの「パラダイム・シフト」はどういうプロセスで起るのか。少し長くなるが夏井氏の文章をさらに引用する。
(引用開始)
先入観を一番捨てにくいのは誰だろうか。それは専門家だ。専門家は自分の専門知識が正しいことを前提に考えるから、もしかしたらそれが間違っているかも、とはなかなか考えられない。(中略)
素人はそもそも先入観もなければその分野についての知識もない。(中略)
つまり、新しいパラダイムを素人は受け入れやすく、専門家は専門家としての自分の地位を守るために懸命になって拒否するわけだ。このためパラダイムシフトの真っ只中では、素人が専門家より知識の面で先を行って最新の知識を享受し、専門家は古い知識(=旧パラダイム)にしがみつくことになる。
このような「専門家集団と素人の間での知識の逆転現象」は、パラダイムシフトの渦中では常に起きていたはずだ。そしてこの逆転現象こそがパラダイムシフトを完成させる駆動力となり、パラダイムシフトの本質なのである。
なぜそれが駆動力になるかと言えば、専門家は生まれながらにして専門家だったわけではないからだ。彼らはもともとは素人であり、勉強して専門家になった。つまり、専門家集団の背景には膨大な数の「知識のない素人」が必要である。
一般大衆(=素人)の間に新しい考えが広まってくると、次世代の旧パラダイムの専門家の予備軍(=知識のない素人)がいなくなってしまう。その結果、旧パラダイムの専門家集団への新規加入者が減り、やがて新規加入者より集団内の死者の方が多くなり、そのうち専門家集団は老衰死・自然死を迎える。その時パラダイムシフトは完了する。
繰り返しになるが、パラダイムが信じられている時代では専門家が指導的立場にあるが、そのパラダイムが崩れようとしている時には、素人の方が最新の知識を持つのだ。
(引用終了)
<同書167−169ページ>
いかがだろう。このブログではこれまで、「モチベーションの分布」や「興味の横展開」、「日記をつけるということ」などで、個人的興味が変化する動的プロセスについて考えてきた。ここで分析されているのは、(個人の集合であるところの)社会的認識が変化する動的プロセスである。個人においては、モチベーションの正規分布と情報のベキ則分布、社会においては、常識の正規分布と専門知識のベキ則分布、どちらも、正規分布とベキ則分布とが絡み合う、面白い、非線形的な世界である。
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