以前「贅沢の意味」において、
(引用開始)
贅沢に限らず、なかなか味わえない特別な体験をした人には、そのことによって、その人にしか出来ない「生産」が可能になる。人生の目的が「生産」であってみれば、贅沢や特別な体験は、その人とその人を取り巻く社会にとって貴重な財産になるのだ。(中略)
贅沢や特別な体験とは、次の「生産」の質を高めるための「消費」であると考えれば、出来る人は(他人に迷惑がかからない範囲で)どんどん贅沢や特別な体験をすべきだということになる。
(引用終了)
と書いたけれど、“次の「生産」の質を高めるための「消費」”とは、“自分への投資”と同義である。人は、自分へ投資することによって「生産」の質を高め、社会への貢献度を増やすことができる。尚、ここでいう「生産」とは、他人のための行為であり、「消費」とは、自分のための行為を指す。詳しくは「生産と消費論」の各項を参照されたい。
「興味の横展開」において、自転車を買うことを例に挙げたけれど、これも一つの“自分への投資”である。お金は掛けずとも、図書館で本を借りて読んだり、ネットで文献を検索したり、ジョギングや太極拳で、身体を鍛えたりすることも勿論自分への投資である。自分への投資に際して気をつけなければならないのは、他人の決めた価値を基に投資するのではなく、自分の興味に沿った投資を考えることである。運動でも、流行っているからではなく、自分の興味で選ぶ。勉強でも、有名大学を目指すための受験勉強ではなく、自分で興味を持ったテーマについて学ぶ。旅行でも、お仕着せの団体旅行ではなく、自分で行き先を決める。
自分の興味に沿った投資には、失敗もあるだろう。しかし「失敗は成功のもと」ということわざ通り、個人的レベルの失敗は、当人にとって貴重な経験であり、それも一種の“自分への投資”と考えることも出来る。以前「失敗学」のなかで、「事件や事故は社会の公共財産である」という考え方を紹介したけれど、「個人レベルの失敗は自分の財産である」と考えれば良いのだ。だから、失敗を恐れずになんでもやってみるべきである。
先回ご紹介した井形慶子さんも、“英語のおかげ”(中経の文庫)第4章「《興味→行動→達成》の法則」のなかで、興味を持つことが(英語の)上達の秘訣だと述べておられる。
私は中学・高校時代、興味のあることしか勉強しなかったから、学校の成績はいつも低空飛行で、大学は一浪してかろうじて受かった。それも入試にニーチェの「悲劇の誕生」(の一部)を読んで感想文を書かせるようなところだったから受かったようなもので、普通のところは軒並み落ちた。大学時代、友人とシルクロードとヨーロッパを数ヶ月かけて走破し、一年留年した。社会人になってからの失敗は数え上げればきりが無い。それでも私は、これまで自分の興味に沿って(自分への)投資をしてきたという自負はある。それによって今、他人にはない「生産」が出来るような気がしている。フランク・シナトラではないが、”I did it my way”なのである。
以前「集合名詞(collective noun)の罠」で、
(引用開始)
集合名詞は行為の主体にはなり得ない。これまで人間社会で起ったことのすべては一人一人の判断と行動(あるいは非行動)の結果であり、これからもそれ以外はあり得ないということを我々は肝に銘じるべきだろう。
(引用終了)
と書いたけれど、「社会の力」は「個人の力の蓄積とその集合」でしかあり得ない。より豊かな社会を作る為に、積極的に自分への投資を行なって、お互いの「生産」の質を高めていこうではないか。
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