“世界は分けてもわからない”福岡伸一著(講談社現代新書)
“単純な脳、複雑な「私」”池谷裕二著(朝日出版社)
“シリコンバレーから将棋を観る”梅田望夫(中央公論新社)
“日本語は論理的である”月本洋著(講談社選書メチエ)
“海岸線の歴史”松本健一著(ミシマ社)
“ワシントンハイツ”秋尾沙戸子著(新潮社)
“カガク英語ドリル”柳下貢祟/David P. Baca/遠藤良子監修(シーエムシー出版)
の7冊。テラスに椅子を出し、「並行読書法」の要領で読み進める。短い間だったけれど、深い木立と鳥の囀りに囲まれて至福の時を過ごすことができた。

“シリコンバレーから将棋を観る”は、以前「ウェブ新時代」や「カーブアウト V」で紹介した、“ウェブ時代をゆく”の著者梅田望夫氏の最新作である。他の本は別の機会に譲るとして、今回はこの本に触れておきたい。まず本の帯から紹介文の一部を引用する。
(引用開始)
好きなものはありますか?極めたいことはなんですか?――ベストセラー『ウェブ進化論』の著者が「思考(アイデア)の触媒」として見つめ続けてきたものは、将棋における進化の物語だった。
天才の中の天才が集う現代将棋の世界は、社会現象を先取りした実験場でもある。羽生善治、佐藤康光、深浦康一、渡辺明ら、超一流プロ棋士との深い対話を軸に、来るべき時代を生き抜く「知のすがた」を探る。
(引用終了)
梅田氏は、「指さない将棋ファン」として、タイトル戦などをネットで観戦しながらこの本を書かれた。氏は本書で、「ウェブ新時代」における「現代将棋」の意義を、次のように書いておられる。
(引用開始)
羽生に現代将棋の本質について尋ねるとき、決まって彼が語るのは、つい最近まで「盤上に自由がなかった」ということである。それをはじめて聞いたとき、私は「あれっ」と思った。なぜなら将棋を指すとき私たちは、ルールに違反さえしなければ、盤上でどんな手を指したってかまわないからだ。盤上の自由とは、将棋のというゲームに、おのずから内包されたもののはずである。
しかし羽生が問題視していたのは、将棋界に存在していた、日本の村社会にも共通する、独特の年功を重んずる伝統や暗黙のルールが、盤上の自由を妨げていたことだった。(中略)
将棋の世界は、いくら新手を創造しても、それを特許や著作権で守ることなどできない。しかも誰かがどこかで一度指した手は、瞬時に伝達されて研究される。しかし、そんな「情報革命」が進行するこの厳しくて大変な時代も、皆で一緒に進化・成長できる良い時代と考えることができる、こういう時代に生きているからこそ将棋の真理の解明も早く進むのだ、そう羽生は認識しているのである。
(引用終了)
<同書29−45ページより>
ここで語られる「盤上の自由」と「知のオープン化」は、以前「ハブ(Hub)の役割」で書いた「公平性=次数相関±0を心がけること」と共に、これからの社会の有り方の基本だと思う。
本書には、梅田氏と羽生善治氏との対談も収められており、これからの時代に対する、お二人の思いがとても良く伝わってくる。いずれ羽生氏の著書にも目を通してみたい。
この本から得たことは「ウェブ新時代」の知見だけではない。子どもの頃私も祖父から将棋を習い、参考書などを買い込んで、矢倉や美濃囲い、棒銀や振り飛車などの戦法を勉強した。この本は、その懐かしい将棋の世界へ私を連れ戻してくれた。本にはタイトル戦の棋譜も載っている。私も「指さない将棋ファン」の一人として、棚の奥に仕舞われた将棋盤の埃を払い、駒を並べてみたくなった。
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<お知らせ>
茂木賛が代表取締役を務めるサンモテギ・リサーチ・インク(SMR)のホームページが出来ました。(http://www.smr-jp.com)
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