以前「公(public)と私(private)」の中で、
(引用開始)
「主格中心」の発想は、知識を蓄積する脳の働きを通して、社会的な「公」の性格を持つ。「環境中心」の発想は、身体の働きを通して、自然的な「私」の性格を持つ。勿論、脳の働きが全て「公」的なもので、「身体」の働きが全て「私」的なものだということではない。脳は、主な働きとして「公」的役割を担い、身体は、主な働きとして「私」的なものだということであるから念のため。「身体」のうちでも「顔」は社会における公的役割を担っているし、「脳」の働きでも「内省」は私的な役割を果たしている。
A R.P.−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」
B P.T.−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」
(引用終了)
と書いたけれど、この構造を、楕円形と斜めの線分で下の図のように描くことが出来る。
中央の楕円内部は、個人の「脳と身体」を表している。中心線の左側は「公(public)」の領域、右側は「私(private)」の領域である。基本的に「脳の働き」は左側、「身体の働き」は右側だが、楕円内部の斜線によって、「顔」など身体でも公的役割を担っている部分が「公(public)」の領域に属し(左上)、脳の働きでも「内省」など私的な役割を果たしている部分が「私(private)」の領域に属している(右下)ことを現している。
また、以前「集団の時間」で考察したように、社会集団において、個人の「脳」と対応するのは「都市」であり、個人の「身体」と対応するのは「自然」であるから、都市と自然の構造も、脳と身体同様、楕円形と斜めの線分で下の図のように描くことが出来る。
中央の楕円内部は、社会集団の「都市と自然」を表している。基本的に「都市の働き」は左側、「自然の働き」は右側だが、楕円内部の斜線によって、「庭園」など都市の機能に組み込まれた自然の一部が「公(public)」の領域に属し(左上)、「廃墟」など自然に還った都市の一部が「私(private)」の領域に属している(右下)ことを現している。
個人と集団社会の構造をこのように図示することで、これまで「「公(public)と私(private)」「脳と身体」「集団の時間」などで論じてきたポイントが、把握しやすくなったのではないだろうか。
二つの楕円の相互関係、斜線によって分けられた楕円形内部各領域の意味、全体の構図と時間論との繋がりなどについては、また項を改めて考えてみたい。
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