前回「都市の時間」について見たところで、集団を構成するもう一方「自然の時間(t = ∞)」についても触れておこう。まずは「集団の時間」から引用する。
(引用開始)
身体は自然から生まれ自然へと還るものだ。だから自然 (t = ∞)は、「個」における身体(t = life)の時間と対応する。自然においては全てのものが循環する。循環する時間には果てがない。t = ∞というのは、自然の時間は無限大という意味である。厳密に言えば自然にも寿命があるのだろうが、人知の及ばない範囲の問題なのでここでは無限大としておいてよいだろう。
(引用終了)
ここで時間とは、長短様々な個物の寿命を集積した無限大の時間である。次に前回同様「効率と効用」から引用する。
(引用開始)
「効率」には値段がつけられるが、「効用」には値段がつけられない。新幹線チケットに値段はつくが、親しい友人と楽しむ旅に値段はつかない。
(引用終了)
「効用」は、市場を介して流通させることが出来ず、便利さの度合いを比較することが出来ない。利益率という比率(ratio)で計算することが出来ない。「効用」は利益という余剰を生まず、生産と消費の等価性そのものとして自然と共にある。
以前「アートビジネス」のなかで、
(引用開始)
アートとは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてコラージュ(組み合わせ)し、他人の脳(t = 0)の前へ提示することだ。
(引用終了)
と書いたけれど、「効用」を齎すサービスは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてコラージュ(組み合わせ)し、人の身体(t = life)を癒すことだといえるだろう。山奥の温泉に浸かってゆったりと身体を伸ばしたとき、人は、幾ら儲かったかでは無く、幾日寿命が延びたかを体感する筈だ。
その伝で「効率」を求める商品を定義すると、それは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてそのスピードを加速し、人の生産活動に役立てることだといえるだろう。原始的な手斧から原子力発電まで、あらゆる道具は、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきて、そのスピードを加速することによって作られる。
時間の加速は人々に数多くの生活上の便益を与えた。しかし、度を越した加速は自然環境を悪化させる。これからの安定成長時代は、自然の環境負荷を増大させない「資源循環」が求められるのだ。
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