「集団の時間」で述べた、都市の時間について敷衍しておこう。都市(人が便利さを求めて作り出したもの全般)の時間原理はなぜ金利(=interest)なのか。まずは「集団の時間」から引用する。
(引用開始)
集団においては、人の脳が作り出したものに、何らかの公共的な序列をつける必要が出てくる。公共的な序列に組み入れられたもの(値段が付けられたもの)は、市場を介して流通させることが出来る。その値段を決める市場の時間原理が金利(=interest)なのである。
(引用終了)
ここでいう時間とは、人が考え出した時計で測ることができる均一な時間である。次に前回の「効率と効用」から引用する。
(引用開始)
「効率」には値段がつけられるが、「効用」には値段がつけられない。新幹線チケットに値段はつくが、親しい友人と楽しむ旅に値段はつかない。
(引用終了)
市場を介して流通させることが出来るのは「効率」、すなわち便利さの度合いを比較できるものである。
市場における商品の値段の高低は、数値化された便利さ度合いの比較である。数値化された便利さは、利益率という比率(ratio)で計算することが可能になる。数値化して比率(ratio)で表すわけだ。あるものを使うと、他のものを使う場合に比べてどれだけ余剰利益を生むかということである。
生産と消費の等価性からいえば、利益という余剰は計算上の架空ものだが、その金を銀行に預けておくと金利が付く。人は、市場で、銀行金利とその商品の利益率を比較して、銀行に預金するか商品に投資するかを決定する。市場における商品価値の計算基準は金利なのである。
市場における商品の値段は金利との比較で成り立っている。ではなぜそれが「時間」という単位で表されなければならないのか。再び前回の「効率と効用」から引用しよう。
(引用開始)
「効率」には尺度としての時間が関わっている。「効用」に共通の尺度は存在しない。
(引用終了)
新幹線がなぜ高いかというと、ローカル線よりも速く目的地へ着くからであり、それは時間の関数である。勿論ここでいう時間とは、時計で測ることができる均一な時間である。貴重品がなぜ高いかといえば、それを入手するのにどれだけ手間隙をかけたかということであり、即ち時間の関数である。「効率」が良いということはより速いということ、即ち加速度がより大きいということなのである。金利も勿論均一な時間の関数である。
金利の増減を基準にして、人が便利さを求めて作り出したもの全般の値段が高下する。市場における商品の値段は金利との比較で成り立っており、比較に用いられる唯一の尺度は、時計で測ることができる均一な「時間」なのである。
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