これまで「脳について」「言葉について」「脳と身体」などで取り上げてきた、月本洋氏の「日本人の脳に主語はいらない」(講談社選書メチエ)には、脳における自他認識と言語処理について興味深い仮説がある。
氏はこの仮説から、「日本語は、空間の論理が多く、主体の論理が少ない。これに対して、英語は、主体の論理が多く、空間の論理が少ない」(同書235−236ページ)という現象を解き明かそうとされている。云うまでもなく、この現象は私の指摘する、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
と重なっている。氏の仮説について見ていこう。
先ず氏は、いくつかの言語の比較から、「日本語は世界の言語の中で、母音を最もよく発音する言語である。これに対して英語は、母音の比重が小さい。」(同書2−3ページ)という特徴を示す。
次に各種実験で、日本人が母音を左脳で聴くこと、イギリス人が母音を右脳で聴くことを検証する。なぜそうなるかについて、氏は「人間は言葉を理解する時に、仮想的に身体を動かすことでイメージを作って、言葉を理解している」(4ページ)という「身体運動意味論」、心と脳と社会の関係、脳神経回路の学習による組織化プロセス、などから説明していく。
次に、最新の脳科学の実験により、ひとは自分と他人の理解を右脳で処理していることを導く。
「従来の脳科学では、自己意識と言語が密接に関連していて分離できないという認識から、自己意識は言語野のある左脳にあるとしてきた。ところが最近の脳科学の実験は、自己意識は右脳にあるということを示している。」(113ページ)
この指摘は重要だ。この発見から氏は、ひとの発話が母音を内的に「聴く」ことから始まることを踏まえ、人の言語野は左脳にあるから、母音を右脳で聴く英国人は、自他を識別する右脳を刺激しながら(左脳で)言葉を処理し、日本人は、自他を識別する右脳を刺激せずに(左脳で)言葉を処理することになる、と想定する。
すなわち、自他を識別する右脳を刺激しながら(左脳で)言葉を処理する英国人は主体の論理が多くなり、自他を識別する右脳を刺激せずに(左脳で)言葉を処理する日本人は主体の論理が少ないことになる、という訳だ。
尚氏は、日本語が世界の言語の中で、母音を最もよく発音する言語であること、日本語は主語や人称代名詞をあまり使用しない、という二点から、「母音の比重が大きい言語は主語や人称代名詞を省略しやすい」(第5章)と仮定されているが、これは(氏も書かれているように)まだ検証が足りず、私の今までの考察(「日本語について」「視覚と聴覚」などで見た日本語に擬音語や擬態語が多いこと)からして、むしろ原因と結果を逆転させて「主語や人称代名詞を省略する日本文化は母音の比重が大きい」とした方が自然だと思われる。
こう考えれば、一連の事象を、
I 日本語には身体性が強く残っていて母音の比重が大きい(文化的特徴)
II 日本人は母音を左脳で聴く(身体運動意味論などより)
III 日本語は空間の論理が多く、主体の論理が少ない(脳科学の知見より)
IV 日本語に身体性が残り続ける(社会的特性)
という循環運動(IVから再びIへ)として捉えることが出来る。こう捉えれば、日本人の脳と身体(日本社会における都市と自然)のバランスを考えていく上で、生産的な議論が可能になると思う。
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