これまで「アフォーダンスについて」「免疫について」「アフォーダンスと多様性」などで、生態心理学(アフォーダンス)と生命情報学(免疫など)の社会科学への応用を提唱してきたが、以前「カーブアウト」で紹介した「細胞の文化、ヒトの社会」(北大路書房)の著者で生物学者の池田清彦氏は、以前より生物学の社会科学への応用を考えてこられた。
氏はその「細胞の文化、ヒトの社会」のなかで、「人間の文化と伝統が人間という個人を要素とするコミュニケーションによって伝承されるように、細胞の文化と伝統は高分子間のコミュニケーションによって伝承される」(同書142ページ)と書かれている。
進化について氏は、「生物は突然変異と自然選択で進化した」とするネオダーウィニズムへのアンチテーゼとして、DNAと細胞に関連して「情報系=DNA」と「反応系=細胞質」という区分を設けた上で、「生物の進化とは、反応系を中心として情報系をまき込む、細胞内の高分子間のコミュニケーションシステムの変化と考えねばならない。」(同書135ページ)と指摘されている。
「免疫について」で指摘したように、個体内部のエネルギー循環(免疫系−自律神経)と、個体間のエネルギー循環(知覚系−脳神経)とが相似的構造を持つと考えれば、上の文章の「生物」を「社会」、「反応系」を「集団組織」、「情報系」を「言語」、「細胞内の高分子間」を「個体間」と置き換え、「社会の進化とは、集団組織を中心として言語をまき込む、個体間のコミュニケーションの変化と考えられる」と言い直すことができるだろう。
社会の進化には「言葉」の果たす役割が大きいのだ。池田氏も、「柴谷篤弘と私は一九八〇年代の半ばすぎから、ソシュールの構造主義言語学を枕に、生物の『構造』と言語構造の同型性を強く主張してきた」(同書127ページ)と書いておられる。
「視覚と聴覚」で紹介した解剖学者の養老孟司氏も、「養老孟司の人間科学講義」(ちくま学芸文庫)のなかで、言葉と脳(社会)、遺伝子と細胞との関係について、「情報系1」、「情報系2」といった分類を用いてその「同型性」を指摘されている。(同書50ページ)
池田清彦氏と養老孟司氏、それに仏文学者で「ファーブル昆虫記(全10巻)」ジャン・アンリ・ファーブル著(集英社)の訳者奥本大三郎氏を加えた三人は、虫捕りのお仲間としても知られている。三人の最新共著「虫捕る子だけが生き残る」(小学館101新書)では、皆さんで子どもにとって言葉以前のリアルな感覚(虫捕り)の重要性を説いておられる。
さて、池田氏は「細胞の文化、ヒトの社会」のなかで、時間について、「我々が存在しなくとも多分、自然は自存するだろう。少なくともそのことを疑う根拠はない。しかし我々が存在しなければ、いかなる時間も存在しない。」(同書52ページ)と書かれている。
私が「集団の時間」のなかで述べた、
「個人」: 脳(t = 0)と身体(t = life)
「集団」: 都市(t = interest)と自然(t = ∞)
という4種類の時間構造は、池田氏のこの時間論の延長上にある。
これからも、生物学や免疫学などを学びながら、個体内部のエネルギー循環(免疫系−自律神経)と、個体間のエネルギー循環(知覚系−脳神経)とが相似的構造であるとする「個体内部と個体間との相似構造論」を深化・発展させ、社会科学や企業経営への応用について考えていきたい。
尚、池田清彦氏の著作では、生物学全般については「新しい生物学の教科書」(新潮文庫)、構造主義科学については「構造主義科学論の冒険」(講談社学術文庫)が良い入門書である。
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