以前「言葉について」のなかで、言葉に関する論点を
1. 言葉を使った作品(小説や詩、俳句や歌など)
2. 言葉の歴史(漢字、万葉仮名、ひらがな、カタカナなど)
3. 言葉と脳科学(身体運動意味論など)
4. 言葉と社会学(不変項としての言葉など)
5. 日本語と英語の違い(言語の特性など)
の五つに分類したけれど、5.の日本語と英語の違い(言語の特性など)に関連して、東京女子大学西原鈴子教授の「外から見た日本語」という新聞連載記事を紹介しよう。
「外から見た日本語」は、7/2/08から9/3/08まで「東京新聞」に毎週(全10回)連載された。各週のタイトルは以下の通り。
1. 暗黙の了解前提の「高文脈」(7/2/08)
2. 情緒を重視した「パトス」の言語(7/9/08)
3. 結論より妥協点の話し合い(7/16/08)
4. 「言い切らない」が不可解に(7/23/08)
5. 親密になるほど沈黙長く(7/30/08)
6. トラブル対処に内罰的傾向((8/6/08)
7. 構成逆にし高い評価の翻訳(8/13/08)
8. 外国人悩ませるカタカナ語(8/20/08)
9. オノマトペ多彩 表現豊か(8/27/08)
10. 挨拶としてのお辞儀と握手(9/3/08)
日本語は、お互いに分かり合っていることを暗黙の前提とする「高文脈」であり、論理的な「ロゴス」ではなく情緒的な「パトス」の言語であること、意見を戦わせることよりも妥協点を探りあうこと、「膠着語」(文法要素がニカワのようにくっついてゆくことで拡大する言語)であること、親密になるほど沈黙が長くなり、トラブルの対処には内罰的(攻撃が自分自身に向けられている)であること、オノマトペ(擬音語や擬態語)が多いことなどについて、挿話ごとに例を挙げて分かりやすく解説してある。
日本語と英語との違いについては、これまで「Resource Planning(R.P.)とProcess Technology(P.T.)」の議論において、
A R.P.−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」
B P.T.−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」
という対比を見てきた。西原教授の各種指摘は、この環境中心の「日本語的発想」について、より深く理解するための補助線となるだろう。一部引用してみよう。
「日本語では、お互いに分かり合っていることは、暗黙の前提として了解済みであるとする。一方ドイツ語(英語も同じ)では、口にしないことは伝わらないという了解でいるから、伝えたいことはことばにしないと収まらないと考えるのである。」(『暗黙の了解前提の「高文脈」』」より)
『たとえば、いわゆる「やりもらい」の言語形式のことを考えてみよう。「与える」の意味で使われる「あげる、差し上げる、やる」「くれる、くださる」は誰が受け手かによって区別される二つの語彙グループであるが、グループ内のどの表現を選ぶかは、与え手、受け手の力関係にしたがって決められることになる』(「情緒を重視した「パトス」の言語」より)
「ものごとを決めようとする時、日本語社会では、トップダウンに提案されることも少ないし、提案をはさんで賛否両論を理論的なゲーム感覚で対立させて論じ合うことも少ない。(中略)日本語社会では、対立はなるべく避け、話し合いに参加する全員が納得したと思われる雰囲気を作り出すことに細心の注意が払われる。」(「結論より妥協点の話し合い」より)
『日本語の会話では、文末のメッセージがとても大切だといわれる。分の構成要素で言えば「ムード形式」に当たる部分がそれに当たる。日本語は「膠着語」(文法要素がニカワのようにくっついていくことによって拡大してゆくタイプの言語)に分類される言語なので、文の終わりに向かって色々と要素が付着されて文が完成する。』(『「言い切らない」が不可解に』より)
『日本語で感謝の表現と謝罪の表現が同じ言葉であり得ることに関して、特に取り上げて言及している言語学の研究もあるほど特徴的な表現なのである。感謝するために「すみません」というのは究極の内罰的態度である。』(「トラブル対処に内罰的傾向」より)
『「なく」を例に考えてみよう。日本語は、「ワーワー」「ギャアギャア」「シクシク」「ワンワン」「ニャーニャー」に動詞「なく」が付くが、英語のほうは、それぞれ異なった動詞になり、順に「cry」「scream」「weep」「bark」「meow」、「ニコニコ笑う」は「smile」、「クスクス笑う」は「chuckle」、「ハハハと笑う」は「laugh」にあたる。』(「オノマトペ多彩 表現豊か」より)
「私たちの行動は、所属する社会の文化的規範によって制約されていると言われている。人は成長する過程で、ことば遣いや立ち居振る舞いについて、何が適切な規範なのかを陰に陽に教えられ、矯正されて大人社会の仲間入りをするのである。」(「挨拶としてのお辞儀と握手」より)
以上いくつか引用したが、全文は図書館などで実際の記事に当たって欲しい。これらの補助線についてはこれからも機会を見つけて論じていきたい。
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