先日の新聞投書欄に「『幸せは買えない』実感」という記事があった。全文を引用してみよう。
「先日、前から気になっていたお店にランチを食べに行きました。ゆっくり味わい、その後デザートもお願いしました。すると、お店の人が笑顔で、『これさっきの団体さんが残したケーキだけど、おすそ分け』と小さなケーキをくれました。
突然のことに驚きながらも、思わず『うれしい』といって頭を下げました。このケーキは本当に小さい物でしたが、私には、どんなに高価な物よりも百倍優しく、幸せな気持ちでいっぱいになりました。そしてふと、付加価値というものを考えてしまいました。
現在日雇いアルバイトで生計を立てている、という人が少なくありません。これが問題化しているのは、そこに人間関係のジレンマが生まれ、彼らが不当な扱いを強いられて、働くことに価値が見出せなくなっているせいだと考えます。
すなわち、企業が利益を上げることに重きを置いている、ということなのですが、商品に価値を与える前に、そこで働く人々に付加価値を与える方がよっぽど大切なことではないでしょうか。
あの小さいケーキから見いだした付加価値は私だけのメジャーから生み出されたものです。しかし、それは、お店の人の優しさがあって初めて生まれ得たものです。
先日の本誌「筆洗」にゴーリキーによれば『金と良心は反比例する』とありましたが、この法則を壊す人がもっと増えてほしいと思います。と同時に、私達は自ら価値を見極めつくり出す能力も必要です。俗っぽい言い方ですが、幸せはお金では買えない、とあらためて実感しました。」(9/22/08東京新聞)
以前「人を褒めるということ」のなかで『称賛が現金を受け取ることと同様な効果を生むということは、報酬が金銭の多寡に関わらないということであり、「生産と消費の等価性」を示唆するものでもある。』と書いたが、「生産と消費の等価性」は、称賛同様、このような形でも成り立つことが分かる。
勿論ここで云う「生産と消費の等価性」とは、物理的に等しいということではなく、生産と消費の取引に「余剰」が生まれないという意味である。アフォーダンス理論でいうところの「環境と知覚との相補性」と同じことだ(詳しくは上述「人を褒めるということ」、さらには「アフォーダンスについて」、「生産と消費の分離・断絶」などを参照のこと)。この場合、「小さなケーキ」を介して、お店の人の優しい気持ちと、「私」の幸せな気持ちとが「等価」なのである。
この投書を書いた19歳の大学生は、このお店で得た「幸せな気持ち」を糧に新聞へ投書した。担当の記者がそれを掲載する、それを読んだ私がここへ転記、皆さんがそれを読む。一つの「小さなケーキ」がこうした生産と消費の連鎖反応を起こしていく。その間だれも儲かりもしなければ損をしたわけでもない。生産と消費の連鎖は波のようなものだ。波は増幅したり減衰したりしながら、社会を縦横に駆け巡る。振幅が大きいほど活気のある豊かな社会だといえる。
さて、生産と消費の取引に「余剰」は生まれないとはいっても、お店を構えて「小さなケーキ」を作るにはお金が掛かることも事実だ。このお店の場合、団体さんが残したケーキだったから良いけれど、いつもケーキを只でお客に配っていたのでは採算が取れないだろう。
ビジネスの難しいところは、「生産と消費との等価性」を念頭に置きつつ、社会(都市)の約束事としてのお金の必要性を忘れてはならないところにある。経営者は、この二つのさじ加減をうまく調節しながら、よりよいサービスを作り出し継続させていかなければならない。そのためにResource Planning(R.P.)やProcess Technology(P.T.)といった知恵もあるわけだが、投書にある言葉を使えば、経営とは「金と良心との両立」を図ることなのである。そしてそれこそが経営の醍醐味であるといえるだろう。
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