先日文芸評論『百花深処』の方で、<明治憲法の顕教と密教>という項を書いた。『天皇機関説タイフーン』平山周吉著(講談社11/2025)の書評なのだが、本のなかに「顕教」と「密教」という言葉を使った興味深い指摘があるということで、平山氏の文章を引用しながら、
@「顕教」:絶対君主(国民は天皇の赤子)
A「密教」:天皇機関説
(1)「密教内の顕教」:@を建て前としながらも議会による政党政治を育てる
(2)「密教内の密教」(表):天皇の意を汲んで物事を差配
(3)「密教内の密教」(裏):@を隠れ蓑として自分たちの権勢を伸ばす
という自分なりの構図を描いた。美濃部達吉が提唱した「天皇機関説」は、天皇の一般国民向けの顔(顕教)である「絶対君主」に対して、エリート層向けの顔(密教)として存在したが、密教には、さらにその奥に天皇のインナーサークルによる御親政(表)と、自分たちの権勢を伸ばそうとする(裏)の勢力があっただろうという分析である。
そして項の最後に“似たような構図は「天皇制」を引き継いだ昭和憲法についても描けると思う”と記しておいた。こちらブログ『夜間飛行』ではそのことについて書いてみたい。
昭和憲法における似たような構図とは、
@「顕教」:象徴君主(天皇は国民統合の象徴)
A「密教」:GHQ(米国)による天皇制の制限
(1)「密教内の顕教」:Aを受け入れながら議会による政党政治を行う
(2)「密教内の密教」(表):天皇の意を汲んで物事を調整
(3)「密教内の密教」(裏):@を利用して自分たちの権勢を伸ばす
といったもの。この「密教」は、これまでのブログ記事「歴史の表と裏」や「サンフランシスコ・システム」などの項で書いてきたことをベースに措定。先日読んだ『天皇への敗北』国分功一郎著(新潮新書4/2026)にも、新しい憲法の第一条には「連合軍の指揮を受けて天皇が統治している」という趣旨の言葉をおくべき、という美濃部達吉氏の敗戦後まもなくの言葉が紹介されている(121ページ)。
明治憲法においても昭和憲法においても、いわゆる「天皇制憲法」の下では、「密教」の存在、特にAの(3)の存在、を許してしまう危険性が付きまとう。私が「プライムアーティストとしての天皇」を提唱するのは、そういう理由からでもある。







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