『いくつもの武蔵野へ』赤坂憲雄著(岩波書店2025)という本を読了。簡単な紹介文を本のカバー表紙裏から引用しよう。
(引用開始)
昔も今も江戸=東京を生かしてきたのは、西側に広がる武蔵野の土、水、人――多くは他の地から来た移民やその子孫――であった。
その表象は時代ごとに移ろい、武蔵野はすでに・つねに発見されるべきものとしてある。
幼き日の原風景を遡り、文学やアニメ等から武蔵野をめぐる知の鉱脈を掘り起こす。
土地に根差すことなき民俗学の試み。
(引用終了)
本書の章立ては以下の通り。
<第一部 はじまりの武蔵野>
第一章 武蔵野は移民の大地である
第二章 雑木林
第三章 浅間山
第四章 野川
第五章 ハケ
<第二部 文学的な、いくつもの武蔵野>
第一章 見えない野火
第二章 不浄取りの道
第三章 流された王の裔
第四章 憂鬱なる田園にて
第五章 黒い武蔵野へ
第六章 深大寺という縁起
第七章 東京を西へゆく
第八章 原風景としての原っぱ
<補論>
ジブリアニメの武蔵野〈一〉『平成狸合戦ぽんぽこ』
ジブリアニメの武蔵野〈二〉『借りぐらしのアリエッティ』
<少しだけ長いあとがき>
武蔵野に生まれ今もそこに住む身にとって、この本の内容はとても親しみ深い。雑木林と原っぱは、私自身の幼き日の原風景だし、浅間山、野川、ハケなどは今も私の散歩コース。郷愁と親近感が(個人的ではあるけれど)本書の魅力の第一だ。
本書の魅力の第二は、「土地に根差すことなき民俗学の試み」という言葉の新鮮さである。多くは他の地から来た移民やその子孫が暮らす武蔵野。著者はその大地と人のさまざまなイメージを喚起しながら、俯瞰と仰視の両方によって、江戸=東京西郊の歴史と文化を掘り起こす。「『鳥居龍蔵伝』を読む」の項で触れた「武蔵野の高麗人(高句麗)」もこの範疇に入るに違いない。
本書の魅力の第三は、武蔵野という郊外を語りながら、これからの東京という大都市の行く末を読者に考えさせるところだろう。本の帯(表紙)に「いま、わたしたちの眼前には、武蔵野に抱かれた大都市としての東京が浮上しつつあるのかもしれない――」とあるのはそのことを示唆している。以前「内と外 II」や「継承の文化」の項でみた里山の三層構造「奥山・里山・人里」に本書を引き付けて、奥山=関東山地、里山=武蔵野、人里=東京という三層構造を思い描いても良いかもしれない。
以上、本書の魅力を三つに分けて記したが、東北学や日本文化論をながく追ってこられた著者が、武蔵野に新たな地域学(地人考)を立ち上げようとする試みはとても尊いと思う。







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