去年の一月から、GHQ占領下日本でおきた初代国鉄総裁の死を巡る『下山事件 最後の証言』柴田哲孝著(祥伝社文庫)を皮切りに、
<戦後史>
『日本永久占領』片岡鉄哉著(講談社+α文庫)
『占領史追跡』青木冨貴子著(新潮文庫)
『在日米軍基地』川名普史著(中公新書)
『ワシントンハイツ』秋尾沙戸子著(新潮社)
『軍隊なき占領』ジョン・G・ロバーツ+グレン・デイビス著(講談社+α文庫)
『731』青木冨貴子著(新潮文庫)
『昭和天皇の敗北』小宮京著(中公選書)
『近衛文麿「黙」して死す』鳥居民著(草思社)
<戦前史>
『満洲国グランドホテル』平山周吉著(芸術新聞社)
『〈満洲〉の歴史』小林英夫著(講談社現代新書)
『「憲政常道」の近代日本』村井良太著(NHKブックス)
『副島隆彦の歴史再発掘』副島隆彦著(ビジネス社)
『愚かなる開戦』鈴木壮一著(毎日ワンズ)
『増補新版・終戦と近衛上奏文』新谷卓著(彩流社)
『近衛文麿と日米開戦』川田稔編(祥伝社新書)
などといった本を再読または初読してきた。そのなかで戦前戦後、政治家各々の問題もさることながら、国家制度の不備について思うと所があったので、最近「X」(旧Twitter)の方に<統帥権と国体>というタイトルで思う所を書いた。今回はそれをそれをここに転記しさらにその下に追記、敷衍しておきたい。
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O5/03/2025「X」(旧Twitter)
<統帥権と国体>『増補新版・終戦と近衛上奏文』、『近衛文麿と日米開戦』を読了。明治憲法下の制度の問題は「現人神天皇制」と「統帥権の独立」だろう。国民は天皇の赤子であり、その天皇が軍の最高指揮権を持つ体制下では、内閣総理大臣が内政・外交をコントロールすることは不可能。
<統帥権と国体>A 敗戦後、現人神天皇制は「象徴天皇制」へ、統帥権の独立は「統帥権の米国委任」へと変化。主権の所在は国民にあるとされるが象徴天皇制には解釈の恣意性が残る。軍の最高指揮権が米軍にある体制下では、戦前同様内閣総理大臣が内政・外交をコントロールできるとは考え難い。
<統帥権と国体>B 第一次世界大戦後の政党政治から1940年代の軍と政治の動きを追うなかで思うのは、国家制度をまともなものにしないと、再び戦争に巻き込まれる可能性が大きいということ。
<統帥権と国体>C 果たして今の日本に国家制度をまともなものに出来る人物はいるだろうか。戦前、近衛文麿は「新体制」と称してそれをやろうとしたが失敗、(他の理由も勿論あるけれど)アメリカとの戦争を止めることは出来なかった。
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「幕末史の表と裏」の項で書いたように、明治政府は薩長の中間・下級武士、京都の下級公家たちが明治天皇をすり替えてつくった疑いがあり、「現人神天皇制」と「統帥権の独立」は、彼らの権力の隠れ蓑として導入された可能性が高い。その体制をそのまま大正、昭和へと引き継いでしまったことに戦前日本の悲劇があったように思う。西園寺公望は政党政治を確かなものにしようと努力したが道半ばで死去、近衛文麿は「新体制」と称し政党によって「統帥権の独立」他を改めようとしたが、「それは幕府を作るのと同じだ」と宮内官僚に諫められて断念してしまった。アメリカとの戦争を止めることが出来なかった理由は、軍人の暴走、政治家の力不足、スパイの暗躍、英米の思惑等様々あれど、明治政府がつくった国家体制の脆弱性がその根本にあると思う。
そうだとすると今はどうかということになるが、「サンフランシスコ・システム」の項等で書いてきたような米軍による日本支配体制では、戦争を回避するのは難しいだろう。「象徴天皇制」についても『昭和天皇の敗北』の冒頭に、
(引用開始)
平成二十八年(二〇一六)年八月八日、平成の天皇がメディアを通じて「象徴としてのお務めについて」おことばを発した。それまで平成の天皇は「象徴」を突き詰めて考え、行動してきたと評価されてきた。その天皇が自ら譲位を求めるなど、誰もが予想しない、きわめて異例な出来事であった。譲位が現行制度に存在しないのだから、おことばは、新たな立法や皇室典範の改正などを求める行為に他ならない。天皇は政治的行為をしないという誰もが漠然と信じていた空気のようなものが崩れた。
政治的機能を何一つ有さないはずの天皇が政治を動かす。
唐突に時間の流れが断ち切られ、あたかも戦後の終わりが告げられたようであった。
(引用終了)
<「はじめに―戦後の終わりから始まりへ」iiiページ)
とあるように、解釈に恣意性が残る曖昧なものだ。戦後の国家体制は戦前のそれ同様きわめて脆弱なものだと考えざるを得ない。
いま政治家のなかに、西園寺公望や近衛文麿ほどの人物はいるだろうか。いないのであれば、このブログを読みに来てくれる皆さんのような方の中からそういう人物が現れることを期待するしかない。私も、これからの望ましい国家体制について「新しい統治思想の枠組み II」などで考えてきた。併せてお読みいただけると嬉しい。
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