ここまで、「モノ」と「コト」について、
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話者から見て、
動きが見えない時空=モノ
動きが見える時空=コト
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と書いてきた。今回は表現された“コト”について考えてみたい。
同じ“コト”でも、表現されたコト、バーチャルなコトは、体験するコトと違って、場所に関係なく話者の脳内だけに「動きが見える時空」を生じせしめる。それらは所詮、言葉の羅列であったり、映像のシークエンスであるから“モノ”なのではあるが。“コトもどき”とでもいうべきか。
表現されたコト、バーチャルなコトは我々の世界を広げるが、そこには往々にして「嘘(ウソ)」が入り込む。意図しないウソ(情報不足や間違い)もあるが、意図的なウソもある。歴史のウソ、報道のウソ、人物評のウソなどなど。どうやってそれを見破るか、その手立てをいくつか挙げてみたい。このブログを読みに来るのは世のウソに敏感な人たちだろうから、対策はそれぞれお持ちだと思うが、以下、頭を整理する意味で読んで貰えればと思う。
(1)知識を増やす
ウソは情報の非対称によって生まれる。ウソの発信者は自らを利するためにこの非対称性を利用する。情報の非対称とは、自分は知っているが相手が知らない、相手は知っているが自分が知らない、といった自分と相手との情報量の違いだ。ウソを見抜くにはこちら側の知識をできるだけ増やすことが鍵となる。私は1963年に米国ケネディ大統領が暗殺されたとき、たまたまニューヨークに暮らしていた。そのこともあってあの事件の衝撃は今も忘れられない。誰が大統領を狙撃したのか、真実を探るためにその後さまざまな本を読み知識を増やしている。
(2)現場に身を置く
勿論行けない場所もあるけれど、出来るだけ現場に足を運んで、表現されたコトの世界を体感することが大切だ。「経験」とはそういったものの集積。金も掛かるけれど体験することは何物にも代えがたい。
(3)多面的に分析する
ウソを見破るための知識は多面的であることが望ましい。ウソはコトの一面だけを強調する。一面だけを見せてそれが全部だと錯覚させる。多面的に分析することでその時空の本当の動きが見えて来る。例えば、列島の古代史について私は日本語の歴史書や解説だけではなく、中国語の史書や墓誌(翻訳物)、経済人類学、海運や土木の工学、歴史小説などの知見を幅広く読み込んで、正史に書かれていない真実を探る努力をしている。
(4)認知の歪み(思い込み)を直す
人は誰しも認知の歪みを抱えている。たとえば、
●過度の一般化
●マイナス思考
●結論への飛躍
●拡大解釈と過小評価
●感性的決めつけ
●教義的思考
●レッテル貼り
などなど(詳しくは「認知の歪み」の項を参照のこと)。ウソを吐く側は、我々の認知の歪みに付込むから、知識を増やす過程で認知の歪みもできるだけ補正しておく必要がある。
(5)体調を整える
体調が万全でないと気弱になって甘いウソに引っかかる。気分がすぐれないときに、ふらふらと占い師に見てもらってその言葉を信じ込んでしまう人など。
(6)ウソを吐く人から離れる
以前「コトの制御」の項でも述べたが、禍事からは距離を置くのがベスト。ウソを吐く相手には近づかないこと。
以上、意図的なウソにどうすれば引っかからないで済むかを挙げてみた。人はそれでも騙される。騙されたとわかったら、(1)から(6)までを改めて履行する。間違いを認める勇気と、考えを修正する柔軟な態度も重要だ。
纏めると、騙されるのは、相手と知識の差、経験の差、金の差、能力の差があるから。騙されないために、惜しまず必要な時間と金を投資せよということ落ち着くだろうか。
なぜこのようなことを改めて書いたかというと、IT時代になってウソを吐く側の手が込んできたと感じるからだ。特にメディアによるウソが多い。モノコト・シフトの時代で“コト”への関心が高まっていることもウソの横行の背景にあると考えられる。大きく言えば「後期近代」がもたらす軋轢だろうか。逆に、“コト”への関心が高まるということは、ウソを見抜く力も付いてくる筈だから、先行きが全く暗いというわけではないけれど。
尚、ウソへの対策として、精神的自立の大切さを語った「騙されるな!」や文章についての「行間を読む」、コトの醍醐味は自分と対象との相互作用にあると述べた「本物を見抜く力」という項もある。併せてお読みいただければ嬉しい。
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