前回「界とハビトゥス」の項で参照した『建築家の解体』村松淳著(ちくま新書)にある、<空間(space)と場所(place)>という概念についても言及しておきたい。これは先日「後期近代」の項で引用したイギリスの社会学者アンソニー・ギデンズの概念で、当ブログで提唱している複眼主義のAとBの対比と重なるように思う。まず同書から引用しよう。
(引用開始)
後期近代論においては、近代の特質の一つとして「時間と空間の分離」が挙げられているが、それに関してギデンズは以下のように述べている。
前近代社会では、ほとんどの人にとって、社会生活の空間的特性は「目の前にあるもの」によって――特定の場所に限定された活動によって――支配されていたため、場所と空間はおおむね一致していた。モダニティの出現は、「目の前にない」他者との、つまり、所与の体面的相互行為の位置的に隔てられた他者との関係の発達を促進することで、空間を無理やり場所から切り離していった。
ギデンズは「空間(Space)と「場所(Place)」を区別して述べているが、この区別は重要である。
空間と場所(引用者註:場所と空間か)のそれぞれの特性については、ポストモダン地理学という分野において盛んに研究されてきたが、ここで両者の違いを簡単に確認しておこう。前者が(自分自身の)身体を中心に認識された具体的な空間の広がりであるのに対して、後者では、任意の点を中心にして、そこから広がりを持つ抽象的なものとして定義できる。
さらに言い換えれば、場所は個人のアイデンティティに紐付いたかけがえのないものである。たとえば、社会学者の金菱清は「場所性」という言葉に「そこでなければ」というルビを振っているが、そのことからも場所の性格の創造がつくのではないだろうか。典型的な「場所」としては、生まれ育った家や、近所の公園や学校や児童館、あるいは商店街のなじみの店などが挙げられるだろう。
一方、典型的な「空間」の例としては、郊外の巨大なショッピングモールやコンビニエンスストア、全国チェーンの店などを挙げることが出来る。こうした空間の特徴は、消費を主目的としていること、そして、監視カメラや警備員によって厳重にセキュリティ管理されていることなどが挙げられるだろう。ただ、近年では、ショッピングセンターのフードコートなどは、地元の中高生にとって場所に近い存在になっていることは指摘しておくべきだろう。
(引用終了)
<同書 182−183ページ>
松村氏は、後期近代は場所(place)よりも空間(space)を重視するが、それを飽き足らなく思う建築家は、空間(space)よりも場所(place)を大切にするとして、そういう建築家を「街場の建築家」と呼び、同書後半で紹介している。
このブログでは複眼主義を提唱しているが、ギデンズの空間(space)と場所(place)の対比は、複眼主義のAとBの対比と重なるように思う。複眼主義のAとBとは、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
などの内容を指し、複眼主義では両者のバランスを大切に考える。ただし、
・各々の特徴は「どちらかと云うと」という冗長性あり。
・感性の強い影響下にある思考は「身体の働き」に含む。
・男女とも男性性と女性性の両方をある比率で併せ持つ。
・列島におけるA側は中世まで漢文的発想が担っていた。
・今でも日本語の語彙のうち漢語はA側の発想を支える。
空間(space)と場所(place)を複眼主義で考えれば、抽象的な空間(space)はA側に属し、身体的な場所(place)はB側に属す。
「後期近代」の項でも述べたように、このブログでは、今の時代に見える傾向を「モノコト・シフト」と呼んでいる。モノコト・シフトとは、20世紀の「大量モノ生産・輸送・消費システム」と人のgreed(過剰な財欲と名声欲)が生んだ、「行き過ぎた資本主義」(環境破壊、富の偏在化など)に対する反省として、また、科学の「還元主義的思考」によって生まれた“モノ信仰”の行き詰まりに対する新しい枠組みとして、(動きの見えない“モノ”よりも)動きのある“コト”を大切にする生き方・考え方への関心の高まりを指す。複眼主義でいえば、“モノ信仰”は所有原理のA側の偏重、“コト”を大切にするとは、関係原理のB側を大切にするということで、それは空間(space)よりも場所(place)を大切にする「街場の建築家」の態度につながる。
松村氏の考えるあたらしい建築家像が、このブログの複眼主義とモノコト・シフトと整合的であることに我が意を強くする。これからもこれらのコンセプトを使って後期近代の先を展望したい。
尚、時間と空間の分離については、以前「時空の分離」(8/9/2013)の項で、アインシュタインの特殊相対性理論が時間と空間の分離を説明したとし、それが近代のパラダイムであるところの「空間重視」に科学的なお墨付きを与えたと論じたことがある。
また、場所(place)と空間(space)をバランスよく配置する街づくりについて、先日「店の3分類」という項で、ローカル、チェーン、ニューウェーブという言葉を使って提案したことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。
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