「集団の無意識」の項でみた戦後日本の無意識。同項では、戦後日本の無意識→国家統治能力(父性)の不在、と纏めた。それにチャレンジした二人の文学者について、文芸評論『百花深処』の方で論じたのでこちらにも紹介しておきたい。
<江頭淳夫の迷走>
<石原慎太郎の焦燥>
詳細は上記に譲るが、この課題に対する二人の挑戦はどちらも失敗に終わる。尤もこれまで成功した人が居ないから、今も(日米安保と日米合同会議などによって)米軍支配が続いているわけだが。失敗から学ぶことは多い筈。敗戦を湘南で迎えた二人の少年(当時十二歳)。彼らのチャレンジとその方法を我々は記憶しておくべきだろう。
尚、江藤と石原より七歳年上で、同じくこの問題に挑戦した文学者に三島由紀夫(本名:平岡公威)がいる。『百花深処』では、<平岡公威の冒険>と題して彼の自決の動機解明を連載している。併せてお読みいただければ嬉しい。
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