先日、ツイッターで「モノとコトの間」というタイトルの連続投稿をしたが、こちらでも同じ論点を整理・敷衍しておきたい。モノとコトの違いを突き詰めて考えることで、今の時代に起こっている「モノからコトへのパラダイム・シフト(モノコト・シフト)」の特性の一端を明らかにしたいからだ。
複眼主義では、世界は無数の固有時空の複合体であると考える。世界を線、平面、立体、時間といった次元分割では考えない。これを踏まえて複眼主義におけるモノとコトとの定義は、
話者からみて、
動きが見えない時空=モノ
動きが見える時空=コト
となる。
この定義にある「話者からみて」とはどういうことかまず説明しよう。ある対象を考えるとき、話者の着眼点によって、それをモノと見るかコトとして見るかが違ってくる。たとえば「地層」をどう見るか。同じ地層でも、それを岩の塊としてみればモノ、地球の活動の跡としてみればコト、となる。
ここで現れる違いはなにかというと、地層をモノとして見る人は、自分の生命時空(寿命と身体)の尺度で地層を捉えるのに対して、コトとして見る人は、地球生命時空の尺度で地層を捉えているということである。普通の人は前者、地質学に関心のある人は後者の見かたをするだろう。
人の生命時空と地球生命時空とはあまりにも速さ大きさが違いすぎるから、人は普通地層の動きを直接見ることがない。だからそれをモノと見る。しかし、地球の活動に興味をいだいていれば、地層を見てその動きを感じることが出来る。だからそれをコトとして見るわけだ。
この違いはまた、対象を自分都合で考えるか、相手都合で考えるかの違いともいえよう。自分都合で考えるとは、対象を自分の時空に引き寄せて、その基準で対象を値踏みするということ。地層は、自分の生命時空(寿命)とはおよそ関わらないから、普通の人にとってそれは単なる「岩の塊=モノ」でしかない。ときに美しい「モノ」かもしれないが。相手都合で考えるとは、対象を相手の時空(この場合は地球生命時空)に合わせて、その尺度で自分との関係を考えるということ。その場合地層は、自分に「地球生命時空の活動=コト」を知らせてくれる貴重な相方となる。
複眼主義ではモノとコトの特徴を、
「モノ」:空間重視・所有原理
「コト」:時間重視・関係原理
とも分析してきた(そして生き方としては、どちらか一方の見かたに偏らないバランス感覚を大切に考える)。
これまでこのブログでは、モノコト・シフトについて、次のように書いてきた。
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モノコト・シフトとは、「モノからコトへ≠フパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。
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今回の話を踏まえると、モノコト・シフトの時代とは、同じ対象でもそれを常に自分都合で考えるのではなく、できるだけ相手都合で考えようとする思いやりの時代、ともいえるだろう。
同じ対象をモノと見るかコトとして見るか、例を続けよう。たとえば人。人を人口(労働人口など)として考えればモノ、生物(命)として考えればコトとなる。社会学的には前者、文学的には後者だろう。
たとえば種(タネ)。タネを売買対象と考えればモノ、植物(命)と考えればコト。商売人はタネを「モノ」として考えるのに対して、心ある農家はタネを「コト」として考えている筈だ。これに関して先日、『農業消滅』鈴木宣弘著(平凡社新書)という本を読んだ。ここに出てくるグローバル企業や政治家は、タネをひたすら「モノ」として考えているに違いない。副題は「農政の失敗がまねく国家存亡の危機」。本カバー表紙裏の紹介文を引用しておこう。
(引用開始)
徹底した規制緩和で、食料関連の市場規模はこの30年で1.5倍に膨らむ一方、食料自給率は38%まで低下。農業の総収入は13.5兆円から10.5兆円へと減少し、低賃金に、農業従事者の高齢化と慢性的な担い手不足もあいまって、“農業消滅”が現実のものとなろうとしている。
人口増加による食糧需要の増大や気候変動による生産量の減少で、世界的に食料の価格が高騰し、輸出制限が懸念されるなか、日本は食の安全保障を確立することができるのか。
農政の実態を明らかにし、私たちの未来を守るための展望を論じる。
(引用終了)
著者のようにタネを「コト」として考える人がもっと増えればよいのだが。
同じ対象をモノと見るかコトとして見るか。たとえばウイルス。それを感染人口で捉えればモノ、細胞とのやりとりを観察すればコト。前者はワクチン、行動制限、治療薬で対応できるとするが、異変種への対応を常時に求められる。後者はそのルーツを分析し、暮らし方を変えるなどしてウイルスとの共生の道を探る筈。いかがだろう。この辺りの話は、
「コロナウイルスとモノコト・シフト」(2020年3月10日)
「周辺国で完結する市場」(2020年6月22日)
「応仁の乱後の日本」(2020年8月1日)
の各項も参照いただきたい。
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