「日本語を鍛える」の項などで書いてきた日本の“世間”というものを、推理小説の形で描き続けているのが、作家横山秀夫氏だ。1957年東京生まれ、国際商科大学(現・東京国際大学)卒業、上毛新聞記者(12年間)を経て作家として独立、とウィキペディアにある。2005年に単行本が出た氏の5作目の長編小説『震度0(ゼロ)』(朝日文庫)は、N県警察本部で起こる警務部警務課長の失踪がテーマ。本カバー裏表紙の紹介文には、
(引用開始)
阪神大震災の前日、N県警警務課長・不破義仁が姿を消した。県警の内部事情に通じ、人望も厚い不破が、なぜいなくなったのか? 本部長をはじめ、キャリア組、準キャリア組、叩き上げ、それぞれの県警幹部たちの思惑が複雑に交差する……。組織と個人の本質を鋭くえぐる本格サスペンス!
(引用終了)
とある。警察という組織は、階級や先輩・後輩関係がものをいう閉鎖的な世界だから、“世間”の特徴を描き出すのにうってつけだし、仕事上常に共同体のリアルと対峙しているからドラマが作りやすい。
作品は県警の幹部公舎と本部庁舎を舞台に、震災発生の朝から3日間(約53時間)の出来事として、警務課長失踪の謎が(65の章に分けて)描かれる。震災発生当日AM5:48本部長公舎が1の章、3日目AM10:35県警警備部長室が65番目最後の章。場面は全部で15か所、
《N県警幹部公舎》
・本部長公舎
・警務部長公舎
・刑事部長公舎
・警備部長公舎
・交通部長公舎
・生活安全部公舎
・総務課長公舎
《N県警本部庁舎》
・県警本部庁舎
・2F本部長室
・2F 警務部長室
・5F刑事部長室
・別館2F警備部長室
・別館2F警備第二課
・3F交通部長室
・4F生活安全部長室
話は時間を追ってこれらの場面を巡り、そこでの登場人物の思惑、会話や電話、背景説明や会議の模様などを通して、事件の全貌が少しづつ見えてくる仕掛けになっている。主な登場人物は、
〇本部長・椎野勝巳、46歳、警視長。警察庁キャリア
〇警務部長・冬木優一、35歳、警視正。警察庁キャリア
〇刑事部長・藤巻昭宣、58歳、警視正。地元ノンキャリア
〇警備部長・堀川公雄、51歳、警視正。警察庁準キャリア
〇交通部長・間宮民男、57歳、警視正。地元ノンキャリア
〇生活安全部長・蔵本忠、57歳、警視正。地元ノンキャリア
とその妻たち。勿論失踪した警務課長・不破義仁とその妻、さらには地元の商工会議所や闇金融業者、新聞記者といった面々もストーリーに関わる。
県警幹部公舎と本部庁舎という閉じた空間における、同調圧力や妬み嫉みなどの「情」に支配された男女の振舞いを、試験管の中の化学変化を観察する科学者のような目で横山氏は綿密に描き出す。そこにはまた、「三つの宿痾」の項で述べた、人の過剰な財欲と名声欲、官僚主義や認知の歪みが絡んできて、ドラマが複雑になり謎が深まる。
小説タイトルの『震度0(ゼロ)』とは、警務課長失踪という不測の事態に直面したN県警幹部たちの慌てふためき振り、県警という狭い“世間”での激震を、震度7ともいわれる阪神・淡路大震災の実際と比べた著者の皮肉なのだろう。この作品に限らず横山氏の小説は、人間観察の深さとその描写力において他の類似する推理小説を凌ぐと思う。“世間”を研究する上でも一読をお勧めしたい。
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