夜間飛行

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社会と国民

2020年11月06日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 ここのところ「自粛警察」「“群れ”と“集団”」「同調圧力」などの項で、社会と世間との違い、日本には世間はあるが社会がない、といったことを見てきた。今回は一歩進めて、社会と国民について考えてみたい。社会がない日本の国民とは何なのだろうか。それぞれの言葉の簡単な定義は、上記及び「nationとstate」「国家の理念(Mission)」などの項から、

「社会」:バラバラの個人の集合体で法のルールによって動く。
「世間」:法のルールではなく同調圧力によって動く。

「国民(nation)」:文化や言語、宗教や歴史を共有する人々の集団。
「国家(state)」:国民の居場所と機構。

としよう。

 『「社会」のない国、日本』菊谷和宏著(講談社選書メチエ)という本がある。副題は「ドレフュス事件・大逆事件と荷風の悲嘆」、書名の「社会」にはコンヴィヴィアリテ(共に生きることという意味のフランス語)というルビが振られている。本カバー裏表紙の紹介文には、

(引用開始)

国家による冤罪事件として知られるフランスのドレフュス事件と日本の大逆事件。スパイの嫌疑を受けたドレフュスは最終的に無罪になったが、日本では幸徳秋水ら一二名が処刑された。両国の違いはどこにあるのか?答えは、日本には「国家」はあるが「社会」はないことにある。今日も何ら変わっていないこの事実に抗い、「共に生きること(コンヴィヴィアリテ)」を実現するには?日本の未来に向けられた希望の書!

(引用終了)

とある。

 著者の菊谷氏は、国家とは制度、システムであるとした上で、次のように書く。

(引用開始)

 制度とは、別言すればルールだ。それは現実(内容)そのものではなく、むしろ現実に押し当てられ現実を規制しようとする「形式」だ。(中略)
 だから、国家においては、各人は匿名的なのだ。人はそこでは「国民」という形式的な資格としてのみ現れる。そこでは各人はいわばそれぞれの機能を果たす部品であり、交換可能な存在だ。そこでは人格やその唯一性(ユニークネス)は考慮されない。ドレフュスがそうであったように。
 これと異なって、家族や地域に代表される共同体は、先に述べた通り情的なものだ。それは構成員の「情」に支えられている。(中略)
 共同体とは、端的に言って、人間の「生の条件」だ。それは、それが生に与えられたものである限りにおいて環境であって、いわば自然条件だ。(中略)それは意思によって選択されたものでも知性によって構築されたものでもなく、自然によって与えられたものであるのだから否定できないのだ。本書でも、永井荷風とその家族との、とりわけ父との関係の中にみることができた。
 これらに対して社会とは、意思的なものなのだ。繰り返すが、社会は各人が他者を人間であると「意思する」ことに基づいている。そのような各人の行為、各人の賭けを土台としているものだ。それは他者の人間性=創造性=自発性=自由の承認である。つまりそれは、人々が自由意志をもって日々生きているという社会生活の現実の有り様そのものであり、いわば「生の内容」なのだ。既に拙稿で詳述し、本書の第1章第四節でも触れた通り、神的超越性を前提としない場合、つまり人間が人間であり社会が社会であることの根拠に照らし合わせて論理的に考え続けた場合、人間の人間性は「そこに賭けるという意思」にならざるをえないのだから。(中略)
 人間性の発祥地(partie)フランスの歴史の中で、社会はhumanite(人間性、人類)の全体として表象され、そのようなものとして生み出された。それは人が共に生きる現実それ自体であった。

(引用終了)
<同書 217−228ページ>

社会とは、「人間の意思」によって作られるものであり、自然によって与えられる家族や地域といった共同体とは違う、という菊谷氏の主張はこのブログの考察と整合的だ。

 社会は人の意思によって生み出され、共同体=世間は人の情によって保たれる。複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

でいえば、

A 社会(意思によって作られる)
B 世間(自然によって与えられる)

ということになろう。複眼主義ではAとBのバランスを大切に考える。人は常に自分の立場を、社会と世間とのバランスの上で考えなければならない。

 「社会」とは、フランスなどの西洋近代が生み出した概念であり、人間の「共に生きる意思」によって作られるもの。それは、自然に与えられる家族や地域といった共同体=世間とは異なる。そうだとすると、近代国家という制度側面においては、国民はまず社会人であることが求めらる。日本国という国家に日本国民がいる。しかし列島という自然条件と国家という制度が1対1対応し、言語特性によってB側に傾斜した人が多い日本では、世間の集合体がそのまま国民となってしまっているところに問題があるのだろう。

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posted by 茂木賛 at 11:01 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

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