先日「敬語システム」の項で、「日本語はとにかく述語が大事で、主語なんかなくてもかなりのことがやっていける」という清水由美さんの言葉を引用した。前回「応仁の乱後の日本」の項で紹介した藻谷浩介氏の『和の国富論』(新潮社)という対談本のなかに、「言動に主語を入れなさい」という言葉があるので、面白い対比としてその部分を紹介したい。
同書第四章<「崩壊学級」でリーダーが育つ>、対談の相手は菊池省三氏(元小学校教師)。この中の「群れ」と「集団」の定義が秀悦なので今回タイトルに拝借した。
(引用開始)
藻谷 菊池先生の『学級崩壊立て直し請負人』(新潮社)は、もう酒飲みがビールを飲むがごとく、ごくごくと読めた本でした。そして学級崩壊というのは、一部の学校の中の特殊な問題であるどころか、日本中に蔓延した現象に気づかされました。今や国会でも互いに好き勝手なことをしゃべっているだけで、そこにコミュニケーションが成立していない。この本に出てくる崩壊した学級とは、大人社会の鏡ではないでしょうか。
菊池 「教室は社会の縮図」なんです。言葉の使い方、コミュニケーションの取り方、ディベートのルール、学校でそういうことを教えないから、そういったことができない大人が増えた。
でも、最近は学級崩壊ってあまり言われなくなったでしょう? それは学級崩壊がなくなったわけではなく、ある意味当たり前になり過ぎたから、ニュース性がなくなってしまったんです。(中略)
藻谷 そもそもいわゆる「選良」が集まるはずの国会が、学級崩壊状態になっていたりします。菊池先生の言葉で言えば、あれは「集団」ではなく「群れ」になっているように見えます。
菊池 その対語は故・阿部謹也先生の『「世間」とはなにか』(講談社現代新書)という本から着想を得たんですが、個人が自分らしさを発揮して自立しているグループが「集団」。個人の考えよりもその場になんとなく流れる空気、特にマイナスの空気が勝るのが「群れ」と定義しています。子供たちには「群れるな、集団になれ」とよく話しています。
(引用終了)
<同書 119−121ページ>
「言動に主語を入れなさい」という話はこの先に出てくる。菊池氏の『学級崩壊立て直し請負人』にある言葉で、藻谷氏が他の言葉と一緒に抜粋したリストの中にある。ここではそのリストを引用掲載しよう。
(引用開始)
菊池学級の「価値ある言葉」
*『学級崩壊立て直し請負人』(新潮社)の中から藻谷が抜粋。
・公の言葉を使いなさい
・話は一回で聴くのです
・率直な人は伸びる人です
・あふれさせたい言葉、なくしたい言葉を意識しなさい
・はきはきと美しい日本語で
・世のため人のために何をしていますか?
・当たり前のことを当たり前にするのです
・言動に「主語」をいれなさい
・もっと簡潔に話しなさい
・昨日よりも成長したことを言いなさい
・恥ずかしいといってもなにもしないのが恥ずかしいのです
・持てる力を発揮しなさい
・理由のない意見はいじめと同じ
・その行為・言葉の周りへの影響を考えなさい
・誰とでも仲良くします、できます
・あいさつ、そうじもできないで他に何ができるのですか
・自分の意見を言って死んだ人はいません
・知恵がないものが知恵をしぼってもでてきません。だから、人に会い本を読むのです。
・「分からない」という言い訳はしません
・性格が変われば顔が変わる
・ズバッといいなさい
・できないのですか? しないのですか?
・成功するまで続けるのです
・準備もしないでその失敗は当たり前です
・負荷を楽しみなさい
・あなたがビシッとすればみんなもビシッとします
・前の人と同じことは言いません
・基準はあなたではなく常識です
・今日までにできなかったことがなぜ明日にできるのか?
(引用終了)
<同書 123ページより>
いかがだろう。「群れるな、集団になれ」、「公の言葉を使いなさい」、「言動に主語を入れなさい」というのは、複眼主義の対比、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
でいえばA側の発想である。菊池氏の相手にするのは、幼少期からB側にどっぷりつかって育てられたであろう日本人の小学生、ということで、ことのほかA側を強調されるのだと思う。一方、「日本語はとにかく述語が大事で、主語なんかなくてもかなりのことがやっていける」というのは勿論B側の発想。清水さんが相手にするのは、A側には慣れ親しんでいるであろうけれどB側に馴染みのない外国人、ということで、ことのほかB側を強調されるのだろう。複眼主義の観点からいえば、両者のバランスが大切ということになる。
『和の国富論』という本は、これまで「里山システムと国づくり III」、「個業の時代」、「日本流ディベート」などの項でも引用紹介した。併せてお読みいただければ嬉しい。「日本流ディベート」の引用箇所は、本項で引用した対談の後半部分に当る。
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