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自粛警察

2020年06月11日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 新型コロナウイルスの感染流行で、「自粛警察」という言葉があった。今回はこの言葉の背景を、当ブログで提唱している複眼主義によって探ってみたい。

 複眼主義では、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

といった対比を掲げ、人や社会における両者のバランスを大切に考える。
・各々の特徴は「どちらかと云うと」という冗長性あり。
・感性の強い影響下にある思考は「身体の働き」に含む。
・男女とも男性性と女性性の両方をある比率で併せ持つ。
・列島におけるA側は中世まで漢文的発想が担っていた。
・今でも日本語の語彙のうち漢語はA側の発想を支える。

 まず「自粛警察」に関する新聞記事をみてみよう。

(引用開始)

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言下で営業している飲食店に「火付けるぞ」と脅したとして、警視庁巣鴨署は威力業務妨害の疑いで、東京都豊島区役所職員の男(63)=同区=を逮捕した。逮捕は20日。署によると、職員は容疑を認め、「感染の恐怖心から間違った正義感を持ってしまった」と供述している。22日に釈放された。
 匿名で店舗に自粛を迫る行為は「自粛警察」と呼ばれ、誹謗中傷や脅迫的な手法が問題となっている。(後略)

(引用終了)
<東京新聞 5/23/2020>

 そもそも「自粛」とは何だろう。日本人はなぜ自粛するのだろう。先日の朝日新聞「著者に会いたい」というコラムにそのことが書いてあった。<同調圧力が生む自粛警察>という見出しの下、『加害者家族バッシング 世間学から考える』(現代書館)の著者佐藤直樹氏へのインタビュー記事。佐藤氏は日本社会特有の「世間」について研究しておられるという。

(引用開始)

 「社会」とはバラバラの「個人」の集合体で、法のルールによって動く。ところが日本にあるのは社会ではなく「世間」で、その集団の力学こそ物を言い、絶大な力を持つ。
 著者は本書でそう説き、「くり返すが、『世間』においては個人が存在しない」と書いている。刑事法学の専門家で、1999年に歴史学者の阿部謹也氏(故人)らと「日本世間学会」を創設、大学でも学問としての「世間学」を講じてきた。現在は評論家として様々発言している。
 犯罪が起きると加害者の家族までがなぜ目の敵にされるのか、変えるにはどうすべきかを論じた本だが、それにはまず世間とは何かを考えることが不可欠として紙幅を割いた。加害者家族への非難はもとより、新型コロナウイルス対策を巡って現れた「自粛警察」にしても、世間と深く結びついている現象だと語る。
 「世間にはメリットとデメリットの両面ありますが、同調圧力と相互監視がグロテスクに表出した。人に迷惑をかけるなという世間の共同感情を害してはならないのだ、と」
 ひと頃はやったように「空気を読め」というわけだが、これはKYと称される前から強固な世間のルールであったし、今もある。新型ウイルス対策でも「要請」と「自粛」が連呼されてきた。「この国ではそれだけで十分なんですよね。言うことを聞かない人には同調圧力が働く」

(引用終了)
<朝日新聞 5/30/2020>

「自粛」とは、政府の「要請」に対する「世間」の対応なのだ。

 それにしても日本人はなぜ「自粛」できるのか。複眼主義によって考えてみよう。日本語的発想のひとつに、ものごとを並べて考えるとき、外から内への順に並べるというのがある。「そこここ」、「あれこれ」「ああだこうだ」など。『日本語びいき』清水由美著(中公文庫)の12章「ウチ向きな日本の私」のコラムに、日本語では、

(引用開始)

「こうだああだ言う」とは言いません。「こうそうしているうちに」とも言わないし、「これあれ遠慮する」とも言いません。話し手の縄張りという点から見て、かならず「遠→近」の順に並んでいるのです。語頭音だけでいうと、「あ→そ」「あ→こ」「そ→こ」という順です。「こ」が、「そ」や「あ」より前に来る組み合わせはないのです。ほかの例もあげてみましょう。「ああ言えばこう言う」、「そこここに散らばる」、「そんなこんなで忙しい」、みんなこの「遠→近」の法則に従っています。
 だから何だと言われれば、なんでもなくてそれだけの話なのですが、たとえば英語だと、here and there, this and thatという具合に、「近→遠」の順に並べることが多い。不思議です。だから、それが何、と問い詰められると困ります。いや、ただ、ちょっとおもしろいですよね、という、それだけのお話。

(引用終了)
<同書 136ページ>

とある。これを複眼主義で解読すると、Bの環境中心の発想は、環境(外)から自身(内)へ向けて力が働き、Aの主格中心の発想は、自己(内)から環境(外)へ向けて力が働くから、語順もそれに従うということになる。

 外からの内向きに働く力が「自粛」を可能にする。日本人は(目上の人に対して恐れ多く感じて)恐縮したり、人前で(恥ずかしくて)小さくなったりする。そういえば、『「縮み」志向の日本人』李御寧著(講談社学術文庫)という本もあった。

 自粛が感染拡大を防いだ功は勿論あるが、危機に際して、人や社会のバランスがB側に偏りすぎると、佐藤氏のいうように、同調圧力と相互監視がグロテスクに表出し、自粛警察のような行為が起る。社会にはやはりAとBのバランスが必要なのだ。法のルールはA側の「公(Public)」の発想である。佐藤直樹氏へのインタビュー記事の続きを引用しよう。

(引用開始)

 「世間の国」には、国内の安全が他国より保たれているといった利点もある。「武士階級は別としても、江戸時代までの世間は『やさしい世間』で相互扶助の面も大きかった。必要なのは、世間のルールを緩めていき、明治以来の『きびしい世間』を変えていくことです」
 家父長制度、死刑制度、天皇制と、世間学の射程は広い。日本語という言語の面からも追及したいと考えている。

(引用終了)
<朝日新聞 5/30/2020>

自粛警察は、法のルールによらないところが、戦時中の「隣組」や、江戸時代の「村八分」とよく似ている。

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posted by 茂木賛 at 11:08 | Permalink | Comment(0) | 言葉について

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