以前「新しい統治思想の枠組み II」の項で、『渋滞学』西成活裕著(新潮選書)という本に触れた際、「ニュートン粒子と自己駆動粒子」という言葉を紹介した。
ニュートン粒子とは、水分子やゴルフボール、惑星など、ニュートンが考えた力学の基本原理、@慣性の法則、A作用=反作用の法則、B運動法則を満たすものを指し、自己駆動粒子とは、車や人、生物など、一般にニュートンの3法則を満たさないものを指す。
渋滞学の研究対象は主に自己駆動粒子だ。ただしニュートン粒子にも粉粒体というものがあり、研究が進められているという。粉粒体とは、構成している粒子の一つ一つは固体だが、それがある程度集まるとサラサラと流れるような動きをしたり、凝集すると再び固まったりする性質を持つものを指す。
いま我々の生活を脅かしているウイルス、生物と言ってよいのかどうか分からないが、生物に付いて増殖することは確かだから、自己駆動粒子系ということで、立派に渋滞学の対象の筈。『渋滞学』の中にも、病原菌についての言及がある。同書第5章「世界は渋滞だらけ」<渋滞が望まれる森林火災>から引用しよう。
(引用開始)
次々と燃え広がる火を一種の流れとみなせば、これもまた自己駆動粒子系として考えることができる。そしてこれまでと違って「火災の渋滞」とは、むしろ大歓迎すべき現象ということになる。つまり、渋滞せずにどんどん進んでゆくことは、火災の広がりを意味しているが、渋滞とはそこで火の進む勢いがなくなることを意味するからだ。
このような観点から森林火災を考えると、その防止のためにはいかにして渋滞を起こせばよいのか、という逆の発想が必要だ。いま、ある木が燃え出したとして、それが山全体に燃え広がらないためにの条件はどういうものだろうか。たとえばある程度木と木の間隔が開いていれば、火にとって通り道がなくなりそれ以上前には進めない。しかしあまり間隔をあけて植林するというのは、林業などで材木を切り出す場合にはあまりにも効率が悪くなる。したがって、ある木の近くにどのように他の木が分布していれば安全なのかが知りたくなる。
このような疑問に答えるのに適した手法が「パーコレーション」といわれるもので、統計物理学の比較的新しいテーマの一つだ。パーコレーションとは「浸透」という意味で、あるものが別のものの中にどれだけ浸み込んでゆけるかを計算できる。たとえば、雨が地面に落ちて地下に浸み込んでゆく様子がまさにパーコレーションで、どのような土質と表面にすれば雨水はどのように浸透してゆくのか、というのは土木工学でも重要な研究課題になっている。森林火災では、火がどれだけ森の中を燃え広がるのかが知りたいので、まさにこのパーコレーションの手法が使える。(中略)
パーコレーションという強力な統計物理学の方法を渋滞学に応用することで、他にも様々な流れとその渋滞を研究することができる。たとえば、伝染病の問題が挙げられる。木を人とし、火を病原菌にとみなせば、森林火災とほぼ同じアプローチで考えることができ、伝染病を食い止めるのは、病原菌の渋滞を起こせばよいことになる。感染者の分布密度がある一定値以上に上がらなければ病気が全体に広がることはない。この限界密度を求める研究は現在盛んに行われている。
また、病原菌の代わりに意見や噂という実態のないものを考えれば、どのように人々の間に世論が形成されるのか、あるいは噂はどのように広がってゆくのか、なども研究してゆくことができるだろう。これは次章で述べる、ネットワークの話と絡んで最先端の研究テーマの一つになっている。
(引用終了)
<同書 186−190ページ>
この本が出版されたのは2006年だから、こういった「パーコレーション」の研究はその後かなり進んだだろう。
「新しい統治思想の枠組み II」を書いたのは去年の10月。新型コロナウイルスの流行を予見したわけではないが、社会をモノ(ニュートン粒子)の集積体として捉えない「渋滞学」の知見が、今回の事態にどれだけ生かされるか、他の医学的知見と併せて注目したい。
ウイルス問題は、ウイルスの感染渋滞そのものもさることながら、ワクチンや治療薬の開発、治療器や医療のリソース、実物経済・マネー経済へのインパクト、他地域の状況、社会的不安(噂の拡散)、集団免疫の形成など、数多くの事象の「フィードバック効果」が一気に重なり合うから、対策には知恵がいる。自己駆動粒子の多体問題(multibody problem)。「対数正規分布」の項でみたように、21世紀はやはり自然科学、社会科学も含めた「複雑系科学」の時代に違いない。







この記事へのコメント
コメントを書く