先日新聞の社説(毎日新聞 7/15/2018)で人口減少問題が取り上げられていた。日本はかって経験したことのない勢いで人口が減っていく、日本だけが急激な速度で人口が減っていけば社会はその変化に耐えきれなくなる、何もしなければ危機は確実に深まる、国民皆保険の土台が崩れる、空き家が増える、過疎地の道路や橋は老朽化したまま放置される、大学の倒産が増える、都市の高齢化率が高まる、人口減少はいったんスイッチが入ると止められなくなる、人口減少に対する安倍政権の対策は甘い、などと指摘したうえで、「これから数十年かけて日本に訪れる巨大な変化は、従来の制度や慣習をなぎ倒すほどの威力がある。ただ長期にわたる政策のビジョンと、世代をまたいで持続する社会の強い意志があれば、この変化にも必ず対応できる筈だ。悲観論に閉じこもってはいけない。冷静に、そして覚悟を持って未来に備えるために、人口減少という大波について集中的に考えてみたい」と結ぶ。
2017年の3月、「国家の理念(Mission)」の項で、国家理念とは「国家がどのような分野で、どのように世界へ貢献しようとするのかを表現した声明文」と書いたが、この新聞の社説は、人口減少にどう対処したよいかを考えようというばかりで、日本がどのように世界へ貢献したら良いかを考えよう、という視点に欠けている。
私に言わせれば社説の問題設定は間違っている。人口が減れば社会はその変化に耐えられなくなる、だからそれに備えようというのであれば、答えは、出生率を上げるなり移民を増やすなりして「人口減少を食い止める」というだけの話になるではないか。そうではなく、日本はどのような分野で世界に貢献できるのか、という理念先行型で考えなくてはいけないと私は思う。日本はXXの分野で世界に貢献したい、そのために国内人口はどのくらい、国外人口はどのくらい最低限必要だ、という形で考えを進めていけば、おのずとそのための施策が見えてくる筈だ。結果、国内人口数は当面今より少なくて済むかもしれない。尚ここでいう日本とは、日本語を母語とする国民といった意味。
国民皆保険、空き家増加、インフラの老朽化、大学の倒産、高齢化、東京一極集中などの問題と、人口減少現象とは実は直結しているわけではない。このブログでも論じてきたように、例えば空き家問題は土地政策や家族概念の変化等に起因している。インフラの老朽化は経済成長を経験した世界中どこでも起きている。なんでもかんでも人口減少問題に引き付けて「縮む日本社会」などと総括すべきではないのだ。そこには思考停止が待っている。あとは政府の勝手な移民政策、出産奨励、外国人観光客増加案、シュリンク都市計画、税金値上げなどが施行されるだけだろう。
世界は日本の人口減少に無条件で協力してくれるほど甘くない。世界にはこれまで滅んだ(言語が消滅した)国は数多い。日本がそのうちの一つとなっても世界は困らないかもしれない。しかし、日本(日本語による発想)がXXの分野で世界に貢献していて、それが他をもって替えられないのであれば、世界は日本の存続に協力してくれるかもしれない。はやくそのXXについて議論しようではないか。
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