新聞の夕刊に「3つの判断基準」というショート・エッセイがあった。著者は種村均氏(ノリタケカンパニーリミテッド会長)。
(引用開始)
私は日頃、自分の考えを善悪、正誤、適否という三つの判断基準で吟味している。善悪は人道に反していないかどうかであり、正誤は規範やルールに反していないか、適否はそれが最適な選択肢であるかどうかである。
善悪の判断を誤ると、一生を台無しにしかねない。自分の人生を振り返ると今でも冷や汗が出る思いをすることがある。致命傷にならなかったのが幸運である。
人道に反しない行為でも、手順や手続きを誤ると社会や組織に迷惑をかける。必要な届けや許可を受けて行えば褒められることでも、怠れば非難されてしまう。国には法律、社会には規範、会社には規則がある。知らなかったでは済まされない。
三つめの適否の判断は一口では言い表せない。会社では経営者と社員の適否の判断力を高めるために苦心している。判断に必要な情報の収集と分析、判断の土台となる見識やノウハウの蓄積、判断に影響する将来変化の推定、こうした知識や能力を育てることは組織の維持発展に不可欠である。
正誤や適否の判断において優れた能力を持ち合わせながら、善悪の判断力に問題があって人生を台無しにする人もいる。社内でも善悪についての教育に一層努力しなければなるまい。
(引用終了)
<東京新聞夕刊「紙つぶて」11/10/2016>
善悪、正誤、適否、いかにも組織の長らしい判断基準といえる。
私の場合「3つの判断基準」は、以前「三つの宿痾」の項で書いた内容と照らし合わせたものになると思う。つまり、
(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置
という人類の三つの宿痾(治らない病気)からできるだけ遠いところにあることを判断基準にするわけだ。(1)はその判断が「過剰な財欲と名声欲」(greed)から来ていないかどうかであり、種村氏の善悪と重なるかもしれない。(2)はその判断が惰性に流されたものでないか、革新性があるかどうか、(3)はその判断が偏見や思い込みから自由であるかどうか。
皆さんの「3つの判断基準」はどういうものだろう。種村氏や私のそれと似通ったものだろうか。組織のポジション、年齢や性別によって違ってくるかもしれない。「パーソナリティの分類いろいろ」の項で記した性格の各要素によっても違ってきそうだ。
(1)リアクター:感情・フィーリングを重要視する人。
(2)ワーカホリック:思考・論理、合理性を重要視する人。
(3)パシスター:自分の価値観や信念に基づいて行動する人。
(4)ドリーマー:内省、創造性に生きる静かな人。
(5)プロモーター:行動の人。チャレンジ精神が旺盛。
(6)レベル:反応・ユーモアの人。好きか嫌いかという反応重視。
これは6つのパーソナリティ分類だが、これを眺めると、人によっては快・不快、合理・不合理、信・不信、好き嫌いなどが基準に入ってくるのかもしれない。
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