先日TVのWOWOWチャンネルで、『さいはてにて やさしい香りと待ちながら』(チャン・ショウチョン監督)という映画を観た。プロムラム・ガイドから紹介文を引用しよう。
(引用開始)
行方不明の父の船小屋を改修して珈琲店を始めた岬と、幼い2人の子供を抱えるシングルマザーの絵里子。石川県能登半島の珠洲市を舞台に、2人の女性の交流を温かく綴る。
(引用終了)
2015年の作品で、岬を演じるのは永作博美、絵里子を演じるのは佐々木希。
この作品は、以前「何も起こらない映画」の項で書いた、「場所と人との関係が中心テーマで、ドラマチックなストーリー展開がなく、淡々とその時空が描かれるような映画、場所と登場人物たちの魅力だけでもっているような作品」の範疇に入るだろう。
主人公岬は独身、幼い時に別れた漁師の父の帰りを待つために海辺で珈琲店を始める。もう一人の絵里子もシングルマザーだから、どちらも父性とは縁遠く、映画は「日米の映画対比」の項でみた複眼主義のB側、
------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
------------------------------------------
の考え方で進んでゆく。しかし最後が少し違った。
父親らしき遺骨が海で見つかったことにより、岬は父を待ち続けることの虚しさから海辺を去る。だが最後、岬は海辺の珈琲店に戻ってくる。絵里子が岬を「おかえり」と迎え、岬が「ただいま」というところで映画は幕を閉じる。そのときの岬は、これまで(父をただ待っていた時)と違い、自らが父性を代行するという決意に満ちた表情のように見えた。
<日本の戦後の父性不在>の問題は、女性による父性代行によって補われ得る。そのことをこのラストは示唆しているように思えた。外国(台湾)の女性が監督を務めたことで一味違った出来栄えとなったのだろうか。
それにしても日本海の映像が美しい。まさに「日本海側の魅力」である。其処ここに使われる「青」の小道具(衣服や椅子など)も印象に残った。
この記事へのコメント
コメントを書く