『奇跡のレストラン アル・ケッチャーノ』一志治夫著(文春文庫)という本がある。副題は「食と農の都・庄内パラディーゾ」。山形県の庄内地方には、外内島(とのじま)キュウリ、だだちゃ豆、藤沢カブ、平田赤ネギ、民田ナス、宝谷カブ、ズイキイモといった在来野菜が多い。口細カレイや岩牡蠣などの魚介類、肉類も豊富だ。この本は、そういった食材の生産者たち、地元でその食材を料理するイタリアン・レストランのシェフにスポットを当てたノン・フィクションである。本カバー裏表紙の紹介文を引用しよう。
(引用開始)
山形県は庄内地方。日本海にほど近い小さな町に、全国から予約が引きもきらないレストランがある。海の幸にも山の幸にも恵まれたこの地には、地方再生への豊なヒントが含まれている。天才シェフ・奥田政行と優秀なスタッフ、そして彼らを支える多彩な篤農家、生産者たち。本書であなたの人生も変る! 解説・今野楊子
(引用終了)
同書のプロローグからも引用したい。
(引用開始)
山形県の庄内地方はかつて陸の孤島と言われていた。内陸部の山形市方面に抜けるには、最上川を遡るコースか、修験者が通る月山越えルートをとるしかない。陸上交通の便が極めて悪い土地だった。もっとも海上交通は中世より盛んで。最上川河口に位置する酒田港は北前船貿易で栄えた。
つまり日本という島国の中のもうひとつの島国だったのだ。
ゆえに、三十万石ともいわれるほどに米作に優れた絶景の地の純度は落ちることなく、そして古(いにしえ)から伝わるさまざまな文化は弱まることなく、残った。
その文化のひとつが、在来作物だった。長い間かけてその土地だけで育ってきた野菜である。
オセロの白黒があっという間に反転するかのごとく、日本中の作物は、戦後わずか半世紀で一変した。戦前に食べていた野菜といま私たちが口にする野菜はまるで別の食物である。
しかし、庄内には、孤島ゆえ、戦前から、いや中には江戸時代以前から継承されてきた野菜が数多く残った。庄内の在来作物は、何百年も前から自家採種を繰り返しながら同じように作られ続けてきた。
むしろ変ったのは、その在来野菜の食べ方ということになるのかもしれない。ひとりのシェフと在来野菜が出会ったことで、庄内の野菜はまた新たな息吹を吹き込まれることになったのである。
(引用終了)
<同書 8−9ページ>
前々回「庭園・芸術都市」の項で、これからの日本の街づくりに必要なコンセプトとして「庭園・芸術都市」を提唱したが、当然のことながら、そこには外から来る人の観光(宿泊・食事・買物・見物といった活動)が付随する。付随するというか、そういう人たちがその都市に活気を齎(もたら)すわけだから、観光の重要性はいうまでもない。以前「観光業について」の項で、海外観光客向けになすべきこととして、
(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)
という三点を挙げが、(1)の「日本語(文化)」をさらにbreakdownすれば、「地元の言葉と文化」ということになる。その意味で、庄内のユニークな作物にフォーカスした『奇跡のレストラン アル・ケッチャーノ』という本は、localで起業しようとする人にとって大いに参考になる筈だ。
先日私も庄内地方で、孟宗竹や細口カレイなどの食材や、「……ども」「……のう」といった庄内弁を楽しむことができた。アル・ケッチャーノにこそ行けなかったけれど、米、酒、温泉も素晴らしく、鳥海山や出羽三山、最上川や日本海の景色は奥深く雄大だった。写真は旅行時に撮った庄内平野。
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