先日、千葉市郊外(あすみが丘)にある「ホキ美術館」で、五味文彦氏や大畑稔浩氏などの写実絵画を観てきた。写実絵画とは、対象を見たまま詳細に描く絵画で、ホキ美術館には主に日本の現代作家約50人による400点以上のコレクションが集められている。
数年前(2010年)にオープンしたばかり、交通の便もあまり良くないロケーションにも拘らず、美術館は多くの人で賑わっていた。何故このような絵画がいま人気なのだろうか。
写実絵画が写真と異なるところは、写真が「一焦点」であるのに対し、写実絵画は「多焦点」であることだろう。絵のどの部分にも焦点が合っているから、観ているうちに、画家が描いた長い長い時間と、自分の生命の時間とがシンクロする。絵のテーマにではなく、描かれた対象(と自分との関係性)に心地よさを感じ始める。「何も起らない映画」の項で書いた、「観客としての自分の生命の時空と、映画の中の時空とがシンクロする」のと似たようなことが起るのだ。
写真は、額縁フレームという背景時空の中に主題が納まるが、写実絵画は、額縁に収まった絵が鑑賞者の前で動き出す。「額縁のゆらぎ」の項で紹介したスーラの絵とは違い、堅牢な額縁中の絵そのものが時間を内包しているのだ。そこに写実絵画の人気の秘密があるような気がする。素朴な鑑賞者でも「すご〜い、写真みたい!」といいながら美術館を巡るうちに、だんだん絵の時空と自分の時空とがシンクロして、全点見終わる頃には、不思議な満足感に涵(ひた)されるという次第。
写実絵画を描く画家の一人青木敏郎氏は、フェルメールの『デルフトの眺望』を見て仰天しこの道に入ったという。「21世紀の絵画表現」で千住博氏の滝の絵について、「フェルメールからモネの睡蓮を通って、主題を持たず動き(時間)そのものを描こうとする筋があり、その線上に、21世紀の絵画表現の一つがあるのかもしれない」と書いたが、それに即して写実絵画についていえば、フェルメールから写実絵画に繋がる、時間を豊に内包した絵画という別の筋があり、その線上にも、21世紀の絵画表現の一つがあるのかもしれない。
ここまで、21世紀の絵画表現について、
●動きそのものを描こうとする絵画(「21世紀の絵画表現」)
●汎神論的、自然崇拝的な絵画(「ラファエル前派の絵画」)
●豊な時間を内包する絵画(「写実絵画について」)
と書いてきた。この三つは21世紀の映画における、
○背景時空そのものが動くアニメ(「21世紀の絵画表現」)
○汎神論的、自然崇拝的な映画(『指輪物語』など)
○何もドラマが起らない映画(「何も起らない映画」)
と対応するように思うがいかがだろう。
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