20世紀を前にしたイギリスの絵画も見ておこう。先日、渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」で、ヴィクトリア朝時代に華開いた、ラファエル前派の作品展を観た。「英国の夢 ラファエル前派展」がそれで、作品はリバプール国立美術館所属のコレクションの中から選ばれたとカタログにあった。同館プロデューサー木島俊介氏の新聞紹介記事を引用しよう。
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革新の中の夢想
一八四八年、イギリスに誕生した「ラファエル前派」グループの活動は、現代という時代に向かって旧い社会構造を変容させることとなる産業革命が、ヨーロッパ全域に波及しようとしていたまさにその直中において、夢想され、かつまた実践された、はかなく切実な美しさの追求であった。それは旧弊に陥っていたアカデミズムに反抗したことにおいては切実な革新運動であったが、ラファエロ的古典主義以前に回帰すべきとしたところにおいては、大いに夢想的であって、この困難な矛盾を実践に移そうとするものであった。ミレイ、ハント、ロセッティという画家たちは、ダンテ、ボッカチョといったイタリア文学や、アーサー王伝説といった中世物語に題材をとったことにおいて反時代的であったが、その彼らも、彼らの時代の現実に体験される苦悩、愛、希望の表明は避けられない。この断層が、繊細優美な表現と謎めいた象徴主義とによって、実に見事に埋めあわされたのである。むしろ、表現の新しさが現実の欲望を旧い主題のなかに生きさせたというべきだろう。今回の展覧会では、既に著名な前期の画家たちに加えて、バーン=ジョーンズ、ストラウィック、ウォーターハウスといった「ラファエル前派」第二第世代ともいうべき画家たちの魅力的な作品も多く見られる。美しさのなか込められている彼らの希求をぜひ見いだしていただきたい。
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<東京新聞 12/19/2015(フリガナ省略)>
ラファエル前派の革新性は、フランス印象派のように実験的な方向へは行かなかったけれど、絵画の枠を超えて、ウィリアム・モリス(1834−1896)のアーツ&クラフツ運動に引き継がれた。これは、手工芸の革新を通して芸術を再生させるという運動で、壁紙、刺繍、タペストリー、テキスタイル、ステンドグラス、家具、装飾、本の装丁、印刷など生活工芸品のデザイン及び生産を主とした。
『百花深処』<イギリスの庭>で触れた20世紀の造園家ガートルード・ジェキル(1843-1932)は、このアーツ&クラフツ運動と縁が深い。同項で紹介した『旅するイングリッシュガーデン』横明美著(八坂書房)には、
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彼女の最初のキャリアは、クラフトウーマンだった。アーツ&クラフツ運動を始めたウィリアム・モリスに1869年に出会い、テキスタイル・デザインを師事した。間もなく刺繍やタペストリー、銀製品、木彫、インテリア・デザインなどの仕事を始め、勢力的にこなすが、40代になると視力の衰えが激しく、目を酷使する仕事を諦めるよう医師に宣告された。
一方で、1875年にはウィリアム・ロビンソンの雑誌『ガーデン』の女流ライターとして連載を始めるが、あくまでもガーデニングは趣味だった。ところが華麗な転身が待っていた。1889年、友人宅のお茶会でアーツ&クラフツ運動に造詣の深いエドワード・ラッチェンスに出会ったのだ。ラッチェンスはニューデリーの都市計画など、多くの公共事業を手がけた、新進気鋭の建築家だった。25歳の年齢差だったが、二人はすぐ意気投合し、田園を廻りながらコッテージの石組みやティンバーフレームについて熱く語り合う。こうして年齢も性別も越えた、世紀のコラボレーションが始まった。屋外での作業が主であるガーデニングは、彼女の目にとって負担が軽く、一石二鳥だった。
(引用終了)
<同書 140ページ(文中「勢力的」は「精力的」の間違いか)>
とある。ラファエル前派の革新性は、アーツ&クラフツ運動を経由して20世紀の造園にまで引き継がれたといえるだろう。
<イギリスの庭>の項で、イギリス庭園の非整形性には、古いケルト文化の影響があるのではないかと私見を述べたが、ラファエル前派やアーツ&クラフツ運動にも、スコットランドやアイルランド文化の影響を窺うことができると思う。ミレイはスコットランドで「春(林檎の花咲く頃)」を描いた。アーサー王伝説もキリスト教以前からある古い物語だ。横明美さんの文章に出て来るイングリッシュ・フラワーガーデンの父、園芸家、ガーデンライター(園芸作家)のウィリアム・ロビンソン(1838−1935)はアイルランド出身。そういえば今回の作品展はアイルランドに近いリバプール国立美術館所属のコレクションである。
20世紀を席巻した大量生産の時代、キリスト教文化圏絵画の主流は、点描画、フォービズム、キュビズムを経て抽象絵画、シュルレアリスム、表現主義へと変化してゆくが、ラファエル前派に底流した古いケルト的精神は、絵画の枠を超え、生活芸術や造園へと流れ込んだと考えられる。それもやがて二つの世界大戦とアメリカ文化全盛によって、地下に潜ってしまうのではあるが。アーツ&クラフツ運動の意義とその失敗については、「場所の力」の項で紹介した『場所原論』隈研吾著(市ヶ谷出版社)でも取り上げられている。
これからの絵画表現として、「21世紀の絵画表現」「額縁のゆらぎ」の項などで「主題を持たず動き(時間)そのものを描こうとする筋」について考えてきたが、もう一つ、この「汎神論的、自然崇拝的な絵画」という筋もあるのではないか。今のラファエル前派の人気はその辺りにあると思われる。
ラファエル前派については、2014年にも、六本木の森アーツセンターギャラリーで「テート美術館の至宝 ラファエル前派展」が開かれた。そのときはミレイの「オフィーリア」も来ていた。自然豊な川に浮かぶ死せる少女をそこで見たときの不思議な印象が忘れられない。それは、高層ビルの天辺という20世紀の頂点的場所で、19世紀と21世紀とを結ぶ回路(の一つ)を体感したせいなのかもしれない。
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