ファッションに関する話を続けよう。まず、ファッションと他のアート表現との違いについて。前回、ファッションは、模倣と差異化の「両価性」を持つという説を紹介したが、差異化は「脳の働き」であり、相手の視線を自分に集めさせ、自分のあり方に知覚者を服従させるという意味において、絵画や音楽など他のアート表現とあまり違わないと思われる。しかし、ファッションは身体と外界との物理境界における視覚的表現だから、他のアートよりも人に模倣されやすい。それが他のアートとの一番の違いだろう。「両価性」といわれる所以だ。
そう考えると、アート表現としてファッションから一番遠いのは、小説や詩などの言語表現であろう。頭のなかで推敲された言語表現の模倣は難しい。難しさの度合いとしては、そのあと絵画や映画、音楽ときて、ファッションの次に模倣されやすいアート表現は何だろう、演技だろうか。演技はファッション同様、身体表現だから、その中身はともかく、外面は比較的模倣されやすい。昔、高倉健のヤクザ映画を見終わった客はみな彼を真似て歩いていた。
その他を考えてみると、ダンスは演技に近いだろう。マンガは絵画、アニメは映画の一種。肌に直接描く化粧、刺青、さらに整形などもあるが、そのpopularityは模倣しやすい順に並ぶ筈だ。言語表現の中でも、キャッチコピーなどは、誰でも真似(口ずさむことが)できるからファッションに近いといえる。
以前「文庫読書法(2014)」の項で、『キャラクター精神分析』斎藤環著(ちくま文庫)を紹介したが、この中にある、ヤンキーやオタクといった「キャラ」、すなわち、「人間という主格=固有性と同一性(一般性)の混沌から、同一性部分だけを拡大強調、主格もどきとして複製し、与えられた環境=場において、相手とのコミュニケーションするときに使う道具(tool)」も、演技の道具として模倣されやすい。「キャラ」は仮面と同じ役割を果たすわけだ。
ファッション・ブランドを身に纏う人は、その「両価性」(模倣と差異化)を楽しむ。前回、創造することとは神の世界創造のごとく無根拠であるという説も紹介したが、新しいブランドは、どのような理由で成功したり失敗したりするのだろう。勿論資金的な問題やマネジメントの上手い下手はある。しかしそういったことのほかに、そのブランドの差異化の位相が、時代の流行よりも「少しだけ」先を行っていることに成功の秘訣があるように思う。
説明してみよう。どうして「少しだけ」流行の先を行ったファッションが良いのか。遥か先を行ったファッションはなぜ駄目なのか。流行や時代精神は、「流行について」の項で書いたような感性変化の7年周期や28年周期、文明のあり方を巡る時代のパラダイム・シフト、素材や技術革命、景気の循環、気象の変化といった様々な要因の組み合わせによって移り変わる。暗黙知によって人はその兆しを察知するわけだが、その小さな差異を追確認するのに、一番手っ取り早いアート表現は何か。
そう、模倣しやすいファッションが一番手っ取り早いのだ。言語表現や絵画、映画や音楽なども、やがて流行に追随してくるだろうけれど、それを待っていては時間がかかりすぎる。しかもそれらは模倣しにくい。人々は、変化の兆しを体現したファッションを纏うことで、その変化の兆しを互いに確認しあうのだ。次に化粧やキャッチコピー、そして先端的なダンスや演劇によって、さらに音楽や映画、絵画、そして最後に言語表現によって、新しい流行や時代精神が追認されていくのだと思う。
時代の遠い先を行くファッションを創る人もいる。そういう音楽や絵画、言語表現もある。しかしそういう作品はなかなか売れない。多くの人にすぐには受入れられないからだ。それが流行や時代精神に敏感な目利きによって発掘され、時代の少しばかり先を行く形にプロデュースされると、一気に流行の最先端に躍り出ることがある。しかし模倣されやすい表現順に、大衆化、質の低下といった問題が生じる。だから、売れないものを作っている方が幸せかもしれない。時代の先を行く精神だけを気高く保持しながら。最近DVDで観た映画『はじまりのうた』(ジョン・カーニー監督)や『繕い裁つ人』(三島有紀子監督)、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督)などは、この辺りの事情を描きたかったのだと思う。時代の先を行く精神をどれだけ保持できるかが勝負の分かれ目なのだ。
ファッションに関して次のような人々がいる。
(1)なるべく目立たないようにする。個性を出さない。
(2)目立つ恰好をする。
(3)伝統的であろうとする。
(4)無頓着である。
(1)は環境にブレンド・インすることを優先する人たち。日本人に多い。(2)は主格中心に考える人たち。ファッショナブルな人たちもこの括りに入る。日本社会ではときどき浮いてしまう。(3)はファッショナブルなのだけれど歴史性を重んじる人々。ただ新しいものが面倒くさいだけの人もこの括りに入る。(4)はあまりファッションに頭を使わない人々。家にいるときは誰でも普段着だからこの括りに入る。あなたはどういう人だろうか。勿論時と場合(TPO)による複数回答もありだ。
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