スモールビジネスとしての建築士の仕事について書いた(「建築士という仕事」)ところで、私の建築に対する興味をまとめておこう。
一つ目は建築の実用面である。住宅や店舗、オフィスなど、人の生産と消費活動を支える道具としての建物。エネルギーの循環システムや、材料・工法に関する新技術が日々開発され、街角に斬新な建物が姿を見せる一方、町屋や古民家が再生されるのも楽しい。実用的な建物に必要なのは、合理性と身体性との高度なバランスだと思う。
二つ目は、美術(Art)としての建築である。「Before the Flight」の中で、
『「美」には大きく分けて二つの範疇があるようだ。二つは重なる部分も多いし、はっきりと分けることも難しいが、ひとつは、螺旋階段のように重力に逆らう運動に基づき、我々の気分を生き生きとさせてくれる感覚的な美しさであり、もう一つは、脳の中で構成される、過去の記憶に基づく郷愁的な美しさだ。それ自体に動きはないものの、優れた建築、庭園、彫刻、宝石などは、重力を一旦吾身に引き受けた上で、次の飛躍を内に秘めた「力」の表現であり、大きくは前者の範疇に入ると思われる。』
と書いたが、「反重力美学」としての建築、特に美術館や博物館などを巡るのは愉しい。なかでも、「螺旋階段」で訪れたポーラ美術館や、「Before the Flight」の神奈川県立近代美術館葉山などのように、自然と溶け合った建物は美しいと思う。
三つ目は都市の一部としての建築である。個々の建物は実用的であったり美的であったり、あるいはそうでなかったりする訳だが、幾つもの建物を、道路や上下水道、電線などで結び、「集合体」として束ねるのが都市であり、個々の建物は、人々から見られ、利用され、記憶されることによって、「公」の場を形成する。住宅街、学校や神社仏閣、商店街、新しい図書館、取り壊される駅舎などなど。都市の建物は、好むと好まざるとに関わらず、合理性と身体性に加えて社会性を帯びることになる。
ところで、都市の建物の「社会性」とはどのようなものなのだろうか。日本の建物の社会性は、他の国々のそれとどう違うのか。日本おける居心地のよい広場とはどのような場所なのか。都市と自然とのバランスはどうなっているのか。それを考えるためには、単に建物の様式を比較したり来歴を調べるだけでは不充分で、「集団の時間」で述べたように都市が人々の脳の外化したものであってみれば、日本の都市と建物を語るには、日本語という「言葉」の本質に迫らなければならないと思う。
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