前回「アナロジー的思考法」の項で、佐藤優氏の『世界史の極意』という本を紹介したが、その中に「大きな物語」という言葉が出てくる。その部分を引用したい。
(引用開始)
「大きな物語」とは、社会全体で共有できるような価値や思想体系のこと。「長い十九世紀」の時代であれば、「人類は無限に進歩する」とか、「民主主義や科学技術の発展が人々を幸せにする」というお話が「大きな物語」です。
ところが民主主義からナチズムが生まれ、科学技術が原爆をつくるようになると、人々は「大きな物語」を素直に信じることができなくなります。
とくに、私の世代以降の日本の知識人は、「大きな物語」の批判ばかりを繰り返し、「大きな物語」をつくる作業を怠ってきてしまいました。
歴史研究でも、細かい各論の実証は手堅くおこないますが、歴史をアナロジカルにとらえ、「大きな物語」を提出することにはきわめて禁欲的でした。
その結果、何が起きたか。排外主義的な書籍やヘトスピーチの氾濫です。
人間は本質的に物語を好みます。ですから、知識人が「大きな物語」をつくって提示しなければ、その間隙をグロテスクな物語が埋めてしまうのです。
具体的にはこういうことです。知識人が「大きな物語」をつくらないと、人々の物語を読み取る能力は著しく低下する。だから、「在日外国人の特権によって、日本国民の生命と財産がおびやかされている」というような稚拙でグロテスクな物語であっても、多くの人々が簡単に信じ込んでしまうようになるわけです。
(引用終了)
<同書 22ページ(フリガナ省略)>
「大きな物語」とは、「社会全体で共有できる価値、思想体系」ということである。佐藤氏は、人々がこんなに簡単に稚拙でグロテスクな物語を「大きな物語」と勘違いして信じ込むとは思わなかったとし、次のように書く。
(引用開始)
そこで自覚的に日本の「大きな物語」を再構築する必要を感じました。それを踏まえて、帝国主義的な傾向を強めていく国際社会のなかで、日本国家と日本民族が生き延びる知恵を見出していくことを意図していたわけです。
しかし現在の私は、そういった作業の必要性を感じていません。というよりも、グロテスクな「大きな物語」の氾濫をせき止める物語を構築するほうが急務の課題だと認識しています。
以上のような個人的な反省も踏まえて、本書では、アナロジーによって歴史を理解するという方法論を採ることにしました。これが実利的にも有益であることは、ここまで述べたとおりです。
(引用終了)
<同書 23−24ページ>
グロテスクな物語の氾濫をせき止めるため、そしてグロテスクな物語によって起りうる戦争を阻止するため、佐藤氏は「アナロジー的思考」という手法を使って、いまの世界の問題を解説しようとするわけだ。それはそれで宜しい。
では、21世紀の「大きな物語」をどう作るか。前回、アナロジー的思考は複眼主義の対比、
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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
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でいうA側の考え方だと書いたが、私の考えでは、「大きな物語」は、A側の考え方だけでは作れない。「背景時空について」の項で述べたように、B側のキーワードは「連続」だ。「分析」と「連続」、両方揃わなければ新しいアイデアはなかなか創発しない。21世紀の「大きな物語」は、A側だけでなく、B側の考え方との対話のなかから生まれるはずだ。
このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。それは、A側に偏った20世紀から、B側の復権によってA、B両者のバランスを回復しようとする21世紀の動きといえる。「揺り戻しの諸相」で書いたように、振り子はA側とB側の間を行ったり来たりしながら、A、B両者のバランスが回復したところでモノコト・シフトは終わるだろう。「大きな物語」はその先にある。これからA側に必要なのは、Bの考え方と対話しながら、柔軟な理論を組み立てることだと思う。やがてそれが「大きな物語」へとつながるに違いない。
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