「集団の時間」のなかで、都市の時間 (t = interest)と自然の時間(t = ∞)について述べ、「社会問題の多くは、この2種類の時間の混同から起こる。」と書いたが、(都市と自然の)二つの時間が隣接するところに、興味深い空間や現象が生まれることも事実だ。
たとえば庭園である。庭園は人が快適さを求めて作ったという面では都市の一部だが、花や樹木の生息という意味では自然の一部でもある。たとえば遺跡である。遺跡は長い年月を経てすでに自然の一部であるが、かろうじて都市の痕跡を残すことで過去の栄華を偲ばせる。昔から人はこのような、都市と自然の時間が明示的に隣接している場所に特別の興味を抱いてきた。
しかし高度成長時代、人々は自然を捨てて都市へ集中した。遠くから運ばれる安い原材料に自らの生活を委ね、それを支えるために大きな組織が大量生産・輸送・消費システムを構築した。都市の時間(t = interest)が全てを覆い始め、自然はバランスを失って強い災害をもたらすようになった。「個」のレベルで言えば、身体を置き去りにして、頭のゲームに熱中した時代といえよう。
「多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術といった、安定成長時代の産業システムを牽引するのは、フレキシブルで、判断が早く、地域に密着したスモールビジネスなのではないだろうか。」(「スモールビジネスの時代」)と書いたのは、この二つの時間が隣接した空間や現象への復帰宣言でもある。「個」のレベルで言えば、頭で考えるだけではなく、身体を一緒に動かして何かを作り出していくということである。
庭園と同じように、日本の「里山」も都市と自然の時間が明示的に隣接した空間だ。しかも里山は、単なる観賞用の庭園と違って、人の生活を支える資源循環システムでもある。「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー」のオーナー、エッセイストでもあり画家でもある玉村豊男氏の「里山ビジネス」(集英社新書)には、スモールビジネスとしての里山の可能性が余すところなく描かれている。
ワイナリーという施設が意味するもの、生活観光の時代、拡大ではなく持続することの大切さ、野菜の地産地消、井戸水の利用、資源の循環システム、職人的仕事観、一人多芸、若者の育成などなど、時には失敗談などを交えながら、玉村氏はこの「小さな王国」について情熱的に語る。本文中、ワイナリーの設立趣意書から一部引用があるが、それは地域密着型スモールビジネスの精神を表して余蘊がない。
「農業は続けることに意味がある。その土地を絶えず耕して、そこから恵みを受けながら、人も植物も生き続ける。それが農業であり、人間の暮らしである。ワイナリーを中心に地域に人が集い、遠方から人が訪ねて来、そこでつくられたワインや野菜や果物を媒介にして人間の輪ができあがる。それが来訪者を癒し、地域の人びとを力づけ、双方の生活の質を高めていくことにつながるだろう。
ワイナリーじたいはとりたてて大きな利益を生むものではなくても、そうした、農業生産を基盤とした地域の永続的な発展と活性化を促すひとつの有効な装置として機能すれば、これほど大きな価値を実現できるものは他には類がないと思う」(77ページより)
尚、「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー」については、「ヴィラデストワイナリーの手帖」山同敦子著(新潮社)にも詳しい。
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