前回「“コト”のシェアと“サービス”」の項で、
(引用終了)
シェア・サービス(の提供と享受)を通して、自分自身がどう変るか、それがモノコト・シフト時代の本質ではないだろうか。(中略)
“コト”は双方向、相互作用なのだ。商品を通して“コト”をシェアする、そしてその先に「変った自分」を発見する。それがこれからの起業家に求められる資質であり、ビジネスのあり方だと思う。
(引用終了)
と書いたけれど、『物欲なき世界』菅付雅信著(平凡社)は、世界各地の先駆者たちへのインタビューを通して、こういった時代の実相に迫ろうとする労作だ。本の構成は次のようになっている。
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<まえがき> 欲しいものがない世界の時代精神を探して
<1> 「生き方」が最後の商品となった
<2> ふたつの超大国の物欲の行方
<3> モノとの新しい関係
<4> 共有を前提とした社会の到来
<5> 幸福はお金で買えるか
<6> 資本主義の先にある幸福へ
<あとがき> 経済の問題が終わった後に
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新聞に載った著者の言葉を引用しよう。
(引用開始)
「今、何が欲しい?」と聞かれて、「特別欲しいモノはないかも」と感じるようになったことから、この本の構想は始まった。そのころ私は、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの普及によって、人々の行動や人格がかなり可視化できる状況になっていることについて新書でまとめていた。書き終わるころ、もう見栄を張る必要がない社会になった、つまり見栄のための消費が意味をなさなくなるので、物欲が減るのではと思うようになった。
実際にさまざまな消費者調査を見てみると、そのような結果がいくつも出て来る。また自分も含め、人々のモノに対する執着がかなり落ちている感覚もある。では、欲しいモノがない世界というのは、どういう状況か。そこでは何を持てば幸せと呼ばれるのだろうか。そういう漠とした疑問から、本書の取材をスタートした。
衣服だけではなく雑貨や食を取り入れた「ライフスタイル・ショップ」と呼ばれる新しいお店が人気を集め、生活提案型の雑誌「ライフスタイル・マガジン」が台頭するなど「生き方」が商品となった消費の終着点的状況。買うよりも「共有=シェア」し、自分たちによるモノ作りを優先する潮流。ほとんどが電子情報となった「お金」の新しい定義。そしてモノを買い続け、お金を使い続けることを強いる資本主義の制度疲労。さまざまな異なる楽器が奏でるノイズが、まとまるとひとつの大きなハーモニーとなって聞こえてきた。
また日本だけでなく、中国の上海、アメリカのポートランドで生まれている新しい消費意識を取材し、さらに内外の膨大な資料をあさって、モノと幸せと資本主義の行方を探る旅を続けた二年間の結果がこの本となった。
「自分が本当に欲しいモノは何か?」。その答えはまだ定かではないが、この旅には確かな手応えがあった。それは物欲の行き先には、多くの賢人たちの知恵と数多くの希望があることだ。
(引用終了)
<東京新聞 11/16/2015(フリガナ省略)>
この本は、モノコト・シフト時代の地殻変動の様子を上手く捉えている。一読してみていただきたい。たとえば<5>章の最後に次のような指摘がある。
(引用開始)
人はなぜ働くのか。それはお金のため。ではお金を稼ぐのは何のためにあるのか。それは幸せになるため。人々はそう信じ込んできた。それは資本主義のセントラルドグマ(基本原理)だったのだ。でも、それはひょっとすると、人類の長い歴史の中では、二〇世紀後半の数十年間の特殊なドグマだったのではないか。元来、働くことはお金のためだけではないし、お金を稼ぐことが幸福につながることとも限らない。むしろお金を稼ぐことを人生の第一義にしていくと、さまざまなストレスや支障を生むことがある。もちろんお金は強力な交換装置であり、信用の尺度でもあり続けるだろうが、お金で買えないモノや信用もたくさんあることがわかってきた。いや、もともとお金で買えないものの方がたくさんあったし、これからもそうなのだ。
では、たくさん働き、たくさんお金を稼ぎ、たくさんモノを買って、より幸せになるという資本主義のセントラルドグマが信じられなくなったとしたら?幸せになるための方法としての消費であり、その交換装置としてのお金が一番大事だと思わされてきた社会から、消費ともお金ともあまり結びつかない幸福のカタチがますます露見するようになった社会に移行しつつある中で、資本主義そのものが機能不全となりつつある様子が浮かび上がってきた。社会を動かす原動力として、資本主義はもはや人々に幸福をもたらすエンジンにならなくなっているのではないだろうか(かつてもそうであったかといえば疑問だが、今よりも祖の幻想は抗力があったはずだ)。二一世紀には、新しいカタチの幸福を実現するための新しいエンジン、新しい動燃機関が必要なのではないか。
(引用終了)
<同書 206−207ページ>
この本に描かれた生活面の変化に加え、「皮膚とシステム」の項でみた新しい非要素還元主義科学の世界観を併せると、21世紀の方向がよく見えてくると思う。
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