前回「所有について」の項で、
(引用開始)
“モノ”は所有できるが、“コト”は所有できない。だから“コト”を大切に考える人は、「所有」や「私有」に固執しない筈だ。“モノ”を供給するだけのビジネスは縮小してゆくだろう。“モノ”を売るのではなく、商品を通して“コト”をシェアする。そんな商売がこれからは伸びるだろう。ただし、“コト”のシェアは“サービス”とは違う。サービスは一方向だが“コト”は双方向、相互作用だ。
(引用終了)
と書いたけれど、今回は、この“コト”のシェアと“サービス”の違いについてさらに考えてみたい。
シェアリング・エコノミー(共有経済)という言葉がある。「共有の社会関係によって統御される経済」といったほどの意味だが、「モノコト・シフトの研究」の項でも触れたように、最近この比率が高まっているという。
このブログで使う「経済」という言葉は、単にマネーのやり取りだけでなく「自然の諸々の循環を含め、人間を養う、社会の根本理法・摂理」を意味するから、共有も私有も包摂するが、普通使われる経済=マネー経済という意味範囲では、私有制を強く必要としない活動領域をそれ以外と区別するために、共有経済という言葉が使われるのだろう。
『シェアリング・エコノミー』宮崎康二著(日本経済新聞社)には、最近増えてきたP2P宿泊、ライドシェア、カーシェアなどの「シェア・サービス」の実態と仕組みが手際よく纏められている。しかし、それらはあくまでも業者から顧客への一方向のサービスであり、メリットはマネー経済において生産効率や資産効率が上がることだという。これまでの“モノ”の販売よりは“コト”に近づいているが、それだけでは“コト”のシェアとはいい難い。“コト”はあくまでも双方向、相互作用なのだから。
確かに、IT技術の進化と共に発達したこれらのシェア・サービスは、これまでの“モノ”の販売よりは“コト”に近づいている。しかしモノコト・シフト時代の本質は、その先にあるはずだ。このレベルでしかシェア・サービスが語られないのであれば、次に出てくるのは政府による「規制緩和」の話になってしまう。東京オリンピックに向けてどの法律をどう変えて「民泊」を進めるかなどなど。どこまで許可するか、しないか、それが官僚の手の上で弄ばれるだけだ。あるいは、どのサービスをどこが買収するか。所謂“サービス事業”は所有の対象としてしか扱われない。
シェア・サービス(の提供と享受)を通して、自分自身がどう変るか、それがモノコト・シフト時代の本質ではないだろうか。
なぜシェア・サービスを使うのか。使いやすい(手軽)、安い、早い、だけではなく、普通のサービスと違う(新規性)、楽しい、考え方が変った、自分でも何か始めてみよう、というところまでいってはじめて“コト”らしくなる。
サービスを提供する側からいえば、簡単に始められる、意外に儲かる、だけでは詰まらない。顧客の声を聴いてやり方を変える、一律ではなくパーソナルな対応もする、別のことと関連付けてみる、といったところまでいって“コト”らしくなる。物販との違いがでてくる。
“コト”は双方向、相互作用なのだ。商品を通して“コト”をシェアする、そしてその先に「変った自分」を発見する。それがこれからの起業家に求められる資質であり、ビジネスのあり方だと思う。
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