「自分と外界との<あいだ>を設計せよ」の項で書いた、自分という渦(vortex)とそれを取り巻く外界との間の設計の重要性を、「皮膚とシステム」という視点から論じた本がある。最近出版された『驚きの皮膚』傳田光洋著(講談社)がそれだ。新聞の紹介文を引用しよう。
(引用開始)
人間の祖先は120万年ほど前に体毛を失った。資生堂リサーチセンターの主幹研究員である著者は、表皮が外部環境にさらされ、「皮膚感覚」が復活したことが脳の発達につながったと推察。人体というシステムにおいて皮膚が果たす役割を分析する。著者によると皮膚は高周波数音を「聴き」、繰り返される圧力や摩擦を「記憶する」。徐々に、危険を察知し身体を守る能力を高めたと説く。
(引用終了)
<日経新聞 10/11/2015>
この紹介文にはないが、本書は、氏のこれまでの著書から内容をさらに一歩進め、「社会」というシステムについて皮膚という観点から論じたものとなっている(特に第六部「システムと個人のこれから」、第七部「芸術と科学について」)。
「社会」というシステム、特にそのネガティブな側面については、以前「認知の歪みとシステムの自己増幅」の項などで、村上春樹の小説を援用しながら論じたことがある。傳田氏も、村上のエルサレム賞受賞時の「壁と卵」というスピーチを引用し、
(引用開始)
私は、この「システム」の暴走と表裏一体をなしているのが、「意識」だけが人間の認識、判断、行動を担っているとする誤解だと考えています。初めは、より生存を有利にするため、「意識」という脳の現象が生まれました。「意識」がシステムを作る方向へ向かったのも、当初は人間の生存のためでした。しかし現代では、それがむしろ災厄をもたらすものになった。
(引用終了)
<同書 157ページ>
と書く。そして氏は、この「システム」の暴走を止めるものとして、皮膚感覚について述べる。人体というシステムの先に社会というシステムがあるわけだが、社会システムを作る「意識」は往々にして元の皮膚感覚を忘れる。「システム」の暴走は、複眼主義でいうところの「脳(大脳新皮質)の働き」への偏重によるところが大きいから、「身体(大脳旧皮質+脳幹)および皮膚の働き」を復活させよというわけだ。
(引用開始)
これまで述べてきたように、人間は大きな脳を持ち、そのために複雑な道具や言語や社会組織を作り出してきました。その原点には皮膚感覚の存在が大きな寄与をなしてきたと私は考えています。
皮膚感覚が意味を持つシステムでは、個人の存在がないがしろにされる可能性は低いでしょう。なぜなら視聴覚情報システムの海におぼれていても、皮膚感覚は、個人を取り戻すきっかけになるからです。皮膚感覚だけは個人から離れて独り歩きすることはないのです。
今、ひととき立ち止まり、私たちの祖先が生きてきた、その営みを振り返り、皮膚という人間にとって最大の臓器の意味を考え、システムの在り方について検証しなおす時期が来ているのだと思います。
(引用終了)
<同書 173ページ>
このような社会と皮膚の関係論は、「境界としての皮膚」の項で論じた『皮膚という「脳」』山口創著(東京書籍)の内容とも重なる。傳田氏は皮膚研究者だが山口氏は臨床発達心理士ということで専門は異なるし、前者は人体システムと社会システムの類似性、後者は皮膚というリミナリティに注目するという違いはあるけれど、どちらも皮膚という境界から自分と外界との間を論じている。「自分と外界の<あいだ>を設計せよ」の項でその著書を引用した作家の梨木香歩さんも、傳田氏の本に興味を懐いて書評を書いている(『驚きの皮膚』207ページ)。これらのことは、「モノコト・シフトの研究」で述べたように、
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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
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という複眼主義の対比において、A側に偏った20世紀から、B側の復権によってA、B両者のバランスを回復しようとする、21世紀の動きと連動していると思われる。日本の真摯な作家や科学者たちはこのこと(モノコト・シフト)に気付き始めているのだろう。
「動的平衡とは何か」の項で紹介した『動的平衡』福岡伸一著(木楽舎)、「同期現象」の項で紹介した『非線形科学 同期する世界』蔵本由紀著(集英社新書)、「進化論と進歩史観」の項で紹介した『「進化論」を書き換える』池田清彦著(新潮文庫)、「共生の思想 II」で紹介した『生物多様性』本川達雄著(中公新書)なども、自然科学の分野で西洋合理思想への疑問を提出する。「里海とはなにか」の項で述べた生態学もそうだったが、もしかするとモノコト・シフト時代には、各分野でB側の「日本語的発想」を持った作家や科学者たちが世界をリードするのかもしれない。
尚、このブログでは以前「皮膚感覚」の項で傳田氏の他の著書を紹介したことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。
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