今年2月「郷愁的美学」の項をアップしてから、文芸評論『百花深処』の方でその周辺を「複眼主義美学」と称して継続的に探ってきた。5月に「吉野民俗学と三木生命学」の項で途中経過を報告したが、改めてここに全体を纏めておきたい。
複眼主義美学とは、藤森照信の『茶室学』、泉鏡花の『草迷宮』や吉田健一の『金沢』、九鬼周造の『「いき」の構造』や『風流に関する一考察』などを手がかりにして、自律神経系(交感神経と副交感神経)、脳(大脳新皮質)の働きと身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き、都市と自然、男性性と女性性、といった複眼主義の諸対比を用い、日本および西洋の思考・美意識構造を分析したものである。
日本人の思考と美意識:
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日本古来の男性性の思考は、空間原理に基づく螺旋的な遠心運動でありながら、自然を友とすることで、高みに飛翔し続ける抽象的思考よりも、場所性を帯び、外来思想の習合に力を発揮する。例としては修験道など。その美意識は反骨的であり、落着いた副交感神経優位の郷愁的美学(寂び)を主とする。交感神経優位の言動は、概ね野卑なものとして退けられる。
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日本古来の女性性の思考は、時間原理に基づく円的な求心運動であり、自然と一体化することで、「見立て」などの連想的具象化能力に優れる。例としては日本舞踊における扇の見立てなど。その美意識は、生命感に溢れた交感神経優位の反重力美学(華やかさ)を主とする。副交感神経優位の強い感情は、女々しさとしてあまり好まれない。
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西洋人の思考・美意識:
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西洋の男性性の思考は、空間原理に基づく螺旋的な遠心運動であり、都市(人工的なモノとコト全般)に偏していて、高みに飛翔し続ける抽象的思考に優れている。例としては神学や哲学など。その美意識は、交感神経優位の反重力美学(高揚感)を主とする。副交感神経優位のノスタルジアは、ともすると軟弱さとして扱われる。
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西洋の女性性の思考は、時間原理に基づく円的な求心運動であり、都市に偏していて、モノやコトの安定化に力を発揮する。例としてはイギリスの女流小説など。その美意識は、静かな副交感神経優位の郷愁的美学(エレガンス)を主とする。交感神経優位の強い情動は、多くの場合魔的なものとして恐れられる。
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人は皆ある比率で男性性と女性性とを持っているから、両方の性性の思考・美意識を有している。今の日本人は、日本古来の思考・美意識と、西洋的なものとの混合型。人によってそのレベルは異なる。何か強いプレシャーを受けると、先祖帰りして古来の思考・美意識に戻ることがある。日本的なるものを理解する西洋人も最近増えてきている。
複眼主義では、そもそも「都市」(人工的なモノやコト全般)は男性性(所有原理・空間原理)、「自然」は女性性(関係原理・時間原理)に偏していると考える。一神教によって育まれた西洋人の思考は、原則的に人間中心の発想で、反自然=「都市」をベースに発展してきた。だから西洋人の思考は、男女ともに、男性的な合理精神に引き寄せられる。一方、日本人の思考は、原則的に環境中心の発想で、縄文の昔から「自然」との融和を基に展開してきた。だから日本人の思考は、男女とも女性的な感性に引き寄せられる。
「都市」に偏した西洋人の思考から形成される美意識は、主に、男性的な反重力美学(高揚感)と、その行き過ぎを抑えるよう(カウンターとして)働く女性的な郷愁的美学(エレガンス)、「自然」に偏した日本人の思考から生まれる美意識は、主に、女性的な反重力美学(華やかさ)と、その行き過ぎを抑えるように(カウンターとして)働く男性的な郷愁的美学(寂び)である。
以上だが、これらの特徴抽出は、私の知識と経験に基づく仮説であり、どこかに正典があるわけではない。あくまでも私がこれまで「複眼主義」として集成してきた考え方の延長線上にある。また複眼主義における二項対比は、「かならず」というものではなく、「どちらかというと」という曖昧さを許容する。複眼主義美学についても同様に捉えていただきたい。
人の思考と美意識を、このように自律神経や脳の働き、性性と関連づけ、さらには、日本と西洋といった文化の違いに応じて体系立てたのは、初めての試みではないだろうか。「ヤンキーとオタク」の項で論じたような日本論も、この分析を援用することでさらに興味深い検討が可能となる筈だ。これからも様々な視点からこの仮説の整合性を検証していきたい。ご意見・ご指適もお待ちしている。
さっそくこの成果を基に、最近『百花深処』<平岡公威の冒険 3>をアップした。三島由紀夫(本名平岡公威)のクロスジェンダー的表現の秘密に迫ったもの。お読みいただけると嬉しい。
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