前回の「環境中心の日本語」に続いて言葉の問題をもう一つ。新聞のコラムを引用する。
(引用開始)
人とは何者か―ホモ・ロクエンス(ラテン語で、話す人)という言い方がありますが、ことばと人間の営みは密接に結びついています。
我々には「一を聞いて十を知る」文化があります。均一性の高い社会ゆえでしょう。各国に散らばって生きてきたユダヤ人には「千を聞いて百を知る」という格言があり、異国で生きる必然性が反映されています。十倍と十分の一、想像を絶する違いです。国・国民(ネイション)の間(インター)を意味する「インターナショナル」を考えるテーマともなります。今は「グローバル」という言葉が行き交ってます。これはグローブ(地球)レベルで一つになろうということを経済活動の面から追求することに端を発しています。
こうした流れの中、ことばの使用で気になることがあります。経済発展を志向するあまり、物への執着からか、ことばにおいて「物(もの)化」が目立ちます。動詞を使うべきところで名詞を用いる傾向です。「対応をしていきます」とか、もっとひどいのは「情報をお伝えをしてまいります」とかです。変ですよね。それに類することはE.フロムが名著“To have or to be?”で「多くの悩みを持っています」といった言い回しは所有意識の表われの典型だと指適しています。フロムさんへの同感から書きました。「人はパンのみにて生くるものに非(あら)ず」(安村仁志=中京大学長)
(引用終了)
<東京新聞夕刊 7/14/2015(傍点省略)>
ご存知のように、このブログでは「モノコト・シフト」と称してこれからの時代を予見している。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。
このコラム執筆者がいうように、「物(もの)化」=「動詞を使うべきところで名詞を用いる傾向」と、「物への執着」=「グローバリズム」とは、関連し合っているのかもしれない。そうだとすると、モノコト・シフトの時代、「対応をしていきます」というような言い方は次第に減り、「合わせていきます」といった動詞形が復活してくるのだろうか。政治家や巷の何気ない言葉遣いに注目してみるとしよう。
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