「生産」(他人のための行為)と「消費」(自分のための行為)についてこれまで、
1. 個人における生産と消費の循環(「人の生産活動に注目するということ」)
2. 社会における生産と消費の交換(「生産と消費について」)
3. 生産と消費の等価性(「アフォーダンスについて」)
4. 生産と消費の人間属性(「理性と感性」)
5. マーケティングにおける生産と消費(「統合と分散、統合と分散II」)
などを見てきたが、そもそも人は、「生産」(他人のための行為)と「消費」(自分のための行為)のうち、どちらのために生きているのだろうか。生産あっての消費なのだろうか、消費あっての生産なのだろうか。
皆さんの中には、「生産」よりも「消費」が先なのではないかと思う人がいるだろう。「俺は飲む為に働いているのだ」とか「競馬をやるために稼いでいるのだ」あるいは「バリ島へ行くために今(働いて)お金を貯めているのよ」という訳だ。一方で、「消費」よりも「生産」が先だと考える人も多いだろう。「働いて家族に楽をさせたい」、「困っている人たちを助けるためにバイトでお金を貯めています」などなど。あるいは「両方とも大事です」という人もいるに違いない。
この疑問に答えるためには、そもそも人は何の為にこの世に生まれてくるのか、という根本に立ち返って考えてみる必要がある。人はまずこの世に生まれてくる。そしてこの「生まれてくる」ことは決して「自分の為」ではありえない。人は何のために生まれてくるかと言うと、家族や社会の為に生まれてくる。このことは大変重要なことだ。
人は死ぬことは選べるが、生まれることは選べない。人は好むと好まざるとに関わらず社会の一員としてこの世に生まれてくる。だから生まれてくることが、その人が最初に行う「生産活動」と考えることが出来る。
人はだれでもまずこの世に生まれるという「生産活動」から始める。そしてそのあとは、「生産」と「消費」を繰り返していく。その繰り返しの中で、わたしたちはときどき「消費」のために「生産」をしているのではないかと錯覚することもある。しかし、今述べた、わたしたちがこの世に生まれてきたことの本質的な意味を考えれば、勿論両方とも大事には違いないとしても、「消費」することよりも「生産」することの方が先にあるのだ、と納得できるのではないだろうか。
「俺は飲む為に働いているのだ」というサラリーマンは、仲間と飲んで仕事の憂さをはらした後、いよいよ次の大仕事に取りかかる積もりかも知れない。「バリ島に行くためにお金を貯めているのよ」という女性は、実は「バリ島へ行ってリフレッシュしたら会社を辞めて独立したい」と密かに考えているのかも知れない。
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