前回「進化論と進歩史観」の項で、進歩史観の基にある、過去から未来へ向かって一定速度で進む「統一時間」が宇宙を律していて歴史は滔々とその流れに沿って動くとする時間論について触れたが、今回は生物学の時間論について考えてみたい。
動物のサイズによって時間の流れる速さが違ってくるという『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)の著者本川達雄氏は、『「長生き」が地球を滅ぼす』(文芸社文庫)という本の中で、動物の身体の大きさが動物の身体のつくりや働きにどう影響するかを調べる生物のスケーリングに関する本をいくつか紹介したあと、
(引用開始)
以上、どの本にもエネルギー消費のことは詳しく書いてあるが、時間に関して突っ込んだ記述や議論はない。
前記シュミットニールセンの本は名著の誉れが高い。彼はデューク大学の看板教授で、コールダー(彼の本の次に挙げた本の著者)は彼の高弟である。私はデュークに二年ばかりお世話になり、シュミットニールセンとはよく昼飯を一緒に食べた。
「時間(time)は体重の1/4乗に比例して変わるものです。」
私が主張した時、シュミットニールセンは言った。
「君の言うのはtimeではなくcycle(周期)だ。」
あ、これは時間の一神教だ!と思った。西洋では、まっすぐに進んで戻らない万物共通のものを時間と呼ぶ。くるくる回るものを普遍的な時間と呼ぶことに、彼らは強い抵抗を感じるようなのである。
唯一の神を大文字でGodと書いて八百万の神々godsと区別し、Godこそが真の神だとユダヤ・キリスト教徒は考える。たぶん彼らの意識の中では、時間にもTimeとtimesの区別があり、唯一の神の造ったTimeこそが唯一の時間なのであって、timesの方は、本当は、そうは呼びたくないというのが西洋人の本音なのではないだろうか。だからこそcycleだとシュミットニールセンが言い直したのだと私は解釈している。この時の会話の調子から、時間を扱うと文化論にならざるを得ないなあと強く感じた。
後年、彼が国際生物学賞(昭和天皇を記念して設けられた賞)を受賞して来日した際、『ゾウの時間 ネズミの時間』がベストセラーになったと告げたら、
「時間がいろいろ違うなんて、アメリカでは受入れられるはずがない。日本ではそういう本が売れるんだねえ。」と、彼我の違いに大いに驚き、不思議がりつつ感心していた。
(引用終了)
<同書 271−272ページより>
と書いておられる。この「まっすぐに進んで戻らない万物共通のもの」という時間はユダヤ・キリスト教、一神教における概念に過ぎない。このことが重要だ。
21世紀のモノコト・シフトが非キリスト教文化圏にある日本で進むと、進化論が池田氏の「形態形成システム」によって書き換えられるであろうように、本川氏のような日本人科学者によって、生物学の時間論そのものも書き換えられるだろう。引用にあるようにまだ抵抗は強いようだが、(モノコト・シフトは黙っていても世界規模で進んでいくから)それこそ時間の問題だと思われる。
書き換えの突破口は、本川氏らのスケーリングの研究が一つ。もう一つは、個体発生は系統発生を繰り返すという発生学上の知見だろう。日本では解剖学者三木成夫氏の『胎児の世界』(中公新書)が有名だ。個体発生が時間を圧縮した系統発生を内に秘めているのであれば、生物の時間は原初からのそれの入れ子構造になっているわけで、「まっすぐに進んで戻らない万物共通のもの」の原理下だけにはないことになる。
三木氏の本では2013年に復刻された『内臓とこころ』(河出文庫)と『生命とリズム』(河出文庫)が入手しやすい。一読をお勧めする。去年の暮、進化論的教育論(Evolutionary Pedagogy)の分野で三木氏の仕事を継承した『アインシュタインの逆オメガ』小泉英明著(文藝春秋)という本も出版された。
時間論の見直し・書き換えは、いずれ物理学の世界でも行なわれるだろう。その取っ掛かりを「時空の分離」「再び複眼主義について」「クレタ人の憂鬱」などの項で書いておいた。併せてお読みいただけると嬉しい。
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