私は生物学者ではないが「進化論」には特別な関心を持っている。20世紀の半ばにワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見して以降、進化はDNAという“モノ”によって齎されるという還元主義的な考え方が支配的であったが、21世紀の初めにヒトのDNA配列の全てが解析されてなお進化の全てが分らないという事実を前にして、人は進化には“モノ”以外のさまざまな“コト”の関与が欠かせないことに気付き始めた。
『「進化論」を書き換える』池田清彦著(新潮文庫)という本は、その“コト”を受入れる身体側の仕組みを「形態形成システム」と呼び、進化学の最前線を分りやすく説明してくれる。カバー裏表紙にある紹介文を引用しよう。
(引用開始)
ダーウィン以来の、突然異変や自然選択に基づく進化論は、蛾の翅の色や鳥のくちばしの大小の違いなど、小さな変化しかカバーできず、種を超えた大進化を説明できない―――。伝統的な進化論の盲点と限界を示し、著者が年来の主張とする「形態形成システムの変更」に生物進化の核心をみる画期的論考。信仰と化した学問上の通説に正面から切り込み、科学的認識の大転換を迫る。
(引用終了)
生物学における「進化」は価値ニュートラルな概念といわれるが、多くの人の意識の底には「進化」=「進歩」という西洋の進歩史観が潜んでいて、進化がDNAという“モノ”によって齎されるという考えは、社会の「進歩」も“モノ”が潤沢に流通することによって起る、という物質主義的な思想を支えてきたと思う。
このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。進化が「形態形成システムの変更」によって齎されるという知見は、この新しいパラダイムを支える柱の一つとなるであろう。
進化論の書き換えによって、「進化」=「進歩」という進歩史観も変るのだろうか。これはなかなか微妙な問題だ。分子生物学の最前線では、むしろDNAを取り巻く環境までをもコントロールして新薬を作り、より良い社会のために役立てようとする動きも盛んだ。
少し考えれば、コントロール出来たと思った環境はすぐにまた変化するから、そういう努力は新薬と環境変化のいたちごっこにならざるを得ないことは自明だが、進歩史観の下では、これからも巨額をかけてそういう開発が続けられるだろう。
進歩史観の基にあるもう一つの考えは、過去から未来へ向かって一定速度で進む「統一時間」が宇宙を律していて歴史は滔々とその流れに沿って動くとする時間論で、この考えが効率を是とする資本主義思想を支えてきた。今の社会では、新薬や新食品の開発は時に高額な利益を生み出す。
進化論とともに時間論が新しく書き換えられてはじめて、科学的認識の大転換は完成するのだと思うがいかがだろう。
それまで、進歩史観の影響下にある人々の間では、後ろ向きな気持ちで“コト”に浸ろうとする動きと、強大なコンピュータを駆使してでも“コト”を凍結しより効率のよい“モノ”を作ろうとする動きとが、混在する形で進むと思われる。
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