これからの日本のあるべき姿や将来展望を、ここまで、政治・政策の視点から(「地方の時代 III」)、識者の対談から(「心ここに在らずの大人たち」)、体験的エッセイとして(「フルサトをつくる若者たち」)、さらに小説を通じて(「限界集落は将来有望」)見てきたわけだが、それを、経済を通して考えるのが『脱・成長神話』武田春人著(朝日新書)という本である。副題に「歴史から見た日本経済のゆくえ」とある。まず新聞の書評を紹介しよう。
(引用開始)
量より質で広がる選択肢
「成長の限界」とか「脱成長」という言葉が使われ始めてから久しいが、新聞や雑誌には相変わらずいまのデフレから脱却し、いかにして成長復活への道を探るべきかという論説があちこちに見られる。現政権が「アベノミクス」の三本の矢のひとつに「成長戦略」を掲げていることからもわかるように、かつての高度成長の記憶はいまだに私たちの思考法を支配しているかのようだ。だが著者は、歴史家の立場から資本主義経済三百年の歴史を振り返り、永続的な高度成長などは一時的な現象に過ぎない、と説得力をもって論じている。
成長なしでは私たちの生活が豊にならないのではないか、という反論がある。しかし、経済成長至上主義の呪縛から解き放たれると、「多様な選択肢の可能性」が見えてくる。所得や消費の「量」が大きければよいと考えるのではなく、例えば自発的なワークシェアによって「働き手」の選択の幅が広がり、過剰消費を避けながらも労働生産性が上昇し、労働時間の削減や生活の「質」が向上することは十分に可能であるという。
本書によれば、もともと、日本語の「はたらく」という言葉は、「傍(はた)」を「楽(らく)にする」という意味とする考え方があり、自分のためだけに長時間仕事をするのではなく、村などの共同体のために汗を流すことを指す言葉だったという。著者は、「労働=苦役」という経済学の労働観から自由になれば、社会的責任を果たしながら生き生きとした仕事もできるようになり、活力が失われることはないと主張している。
J・S・ミルが『経済学原論』のなかで、「定常状態」における人間的・精神的な進歩について語ったのは十九世紀の半ばだったが、「環境と資源の制約」が本当に意味で深刻になった現代、ようやく「成長神話」からの脱却の準備ができたのかもしれない。本書は、その意味を多方面から考えるよい機会を提供してくれるだろう。
(引用終了)
<東京新聞 2/22/2014>
このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。このブログではまた、経済というものを、自然の諸々の循環を含め人間を養う社会の根本理念・摂理(人間集団の存在システムそのもの)とし、その全体を三つの層で捉えている。
「コト経済」
a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般
「モノ経済」
a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般
「マネー経済」
a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム
という三層で、モノコト・シフトの時代においては、経済の各層において、a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力が高まると共に、特に「コト経済」(a、b両領域含めて)に対する親近感が強くなってくるだろうと予測している。
経済というものを、「コト経済」「モノ経済」「マネー経済」という三層の集合体としてみれば、永続的な高度成長という概念は、「マネー経済」のb領域においてのみ成立することがわかる。他の領域では、需要と供給はバランスが取れれば均衡するのだ。資本主義経済が成立してから300年、持続的高度成長などというものが一時的な現象であったという本書の主張は最もなものだと思う。
地球の限られた資源を、どのように有効活用し人々の生活を安定させるか、安定した生活のなかから生まれる多様な文化をまたどのように社会にフィードバックして生活に活用するか、ということが政策として問われているのであって、「マネー経済」のb領域だけを見てそれを決めようというのはまったく馬鹿げた話なのだ。
「地方の時代 III」の項で紹介した「ミニマ・ヤポニア―日本を)」で田中康夫氏も、「小日本主義」「量から質へ」という言葉によって成長神話からの脱却を主張している。田中氏は『33年後のなんとなく、クリスタル』でも、敢て小説の最後に50年後にも一億人程度を保つという日本政府の人口予測を載せ、その成長神話に基づく間違った政策を批判している。
以前「国家理念の実現」の項で、高齢化、少子化をいち早く迎えた今の日本は、モノコト・シフトの最先端を走っていると書いたけれど、この本『脱・成長神話』にも、
(引用開始)
「ゼロ成長」を受入れることができると、1990年代から四半世紀に及ぶ日本の「経済停滞」も違った風景に見えてきます。日本の現状は、先進国がいずれも歩まねばならない「ゼロ成長」の先駆けとなる時代として見えてくるからです。つまり、日本は先進国経済の最先端に位置しているのです。
(引用終了)
<同書 216ページ>
という文章がある。最先端にいる我々がこれからどう進むか、それが、後に続く世界全体のこれからを決めるといっても言い過ぎではないと思う。
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